『バラバラ』
「拾ってどうするんだ?」
「骨壺にいれて墓にいれるんだよ」
クラッカーを口に放り、カリっと小さな音をたてる。小型飛行機の、クッションのきいた座席に横たわりレッドは次々と腹へ物を詰め込んでいく。今から任務だというのに、まるで緊張感がない。
「それで、骨は拾わないというのは、野晒しにするということか」
「弔ってやらねえってことだろ」
面白くなさそうにレッドは私に視線を寄越す。
日本映画で拾った「死んでも骨は拾わない」という言葉。ヒィッツには火葬の知識こそあるが、その後の処理までは知らない。レッドが焼いて骨と灰にした故人は壷に納め仕舞うのだという。
「なにこだわってんだ?」
簡単に説明し、問えばヒィッツは視線をそらす。
「こだわっていないさ」
レッドは再びクラッカーに手を伸ばし、ヒィッツは雑誌に視線を戻す。ちっとも 情報が頭に入らないが、適当にページをめくる。
あと数十分で到着する任地でも、雑誌を読んでいたり軽食をつまんでいる者はいるだろう。そしてすぐにいなくなる。二人が任務に赴けば先には死しか残らない。
レッドとヒィッツが組まされるのは大規模破壊の任務ばかりだ。対象は体は勿論生きた証も情念さえ土足で粉砕・破壊される。
「死んだら墓に入りたいとか?」
嘲笑。
「てめえの死に様が楽しみだな」
「墓など無用だ」
死ねばそれまで。気にかかっていたのは墓ではなく、バラバラになったパーツを拾い集める行為。
小さく白く、焦げ目もつくだろう骨片を拾い集めてなんになる。ヒィッツがバラバラにした人体が拾い集められ埋葬されたことはあるのだろうか。
想像が、急に馬鹿ばかしくなってヒッィツは苦笑する。自分の被害者に手間暇かけて弔われたものがいたとしたら、羨ましいものだと心のどこかで思っていた。
墓など無用。その心に変化はないのだけれど。
「覚えておいてやる」
なにを、ということはなく。レッドが塩気のついた指をヒィッツのネクタイで拭う。
「私より後に死ぬ気か」
「当然」
機体が傾く。レッドを殴ろうとしたヒィッツの腕が空を掻く。電子系統のトラブルが起きたというアナウンスが悲鳴になって消えた。
『バラバラ2』
重力と加速度で落下する人体は散弾。
レッドはBF団の庭でさして危機感もなくすぐ側へ落ちた切断された人体を見る。生臭い音と臭い、様々な体液。
ちょっとだけ体を動かして避けて、なんとなく気になって降った人間が気障なスーツに明るい髪をしていないか確認する。
格好は気障ったらしい上質の灰色。しかし肌色はレッドと同じ黄色人種のそれで、切断部位とはいえ白人とは歴然と違う。
ついでに頭をさがしたが、頭部は近くにみあたらなかった。
「レッドー?」
頭上から声がする。見上げるまでもないヒィッツの声で、質がどこか浮ついている。
「悪さでもしたのか?」
顔を上げず声だけを返す。見上げれば僅かばかりの安堵の色を誰かに気付かれる気がした。
「悪さはお前の専売だろう」
3階からレッドを見つけ、声をかけたヒィッツが口を曲げる。隣の怒鬼は同意するでもなく、ひと一人五体をばらした刀を納め屋内に残した生首の髪を掴む。
首桶というのだろうか。ささっと進み出た血風連が桶を差し出し首を納める。
「策士殿へ報告へ行く」
「俺もいったほうがいいか?」
「俺だけでいいだろう。切ったのも俺だ」
「そうか」
廊下には血が一滴も落ちていない。首を残した場所くらい溜まりができていると思ったが、どういう技か先刻ヒィッツが襲われたときに裂いた廊下の破片が散らばるだけだ。
「助かった。ありがとう」
怒鬼の背中へヒィッツが声をかける。もし横から助けに出た相手がレッドだったならば、こうも素直に礼もでまい。余計なことだと噛み付いて、逆に懐深くを噛み千切られていたはずだ。
何の拍子か紛れ込んだ刺客の脅威など比べるべくもない。
物思っていると怒鬼が立ち止まり、振り返っていることに気が付いた。
「なんでもない」
問う前に背中を見せて足早に去っていく。ヒィッツは窓から下を見下ろして、通りがかりの覆面に庭の片づけをいいつけた。
『いらないもの』
残念ながらちっとも悲しくない。
お気の毒なのはどっちだ?
鬼や悪魔といわないまでも、非道・外道といわれたことのない人間がこの世に果たしているのだろうか。
悪魔と、今もレッドを睨みつけ口をわななかせながら崩れる建物の下敷きになる女がいる。その建物はレッドが辺り一帯に撒いた火に引火し、ヒィッツが指弾いて切り裂いた。
あの女の死に責任を求めるならレッドとヒィッツでイーブンか。 そんなこたぁねえよな。レッドは女を潰した建物を蹴って移動する。
あの女が死んだのは、現在も進行している大規模破壊計画の場にいあわせたせいであり、作戦を立案した策士のせいだ。
もっといえばBF団に敵対し壊滅させられる羽目になった自分が属する組織のせいだ。
俺は悪くない。
悪くたってどうでもいい。
「手応えねえなあ」
ヒィッツが武器工場を切り崩し、教会のような建物をなぎ倒す。レッドはようやく迎撃体制をとった敵のエージェントに刃を突き立てていた。
負傷どころかかすり傷も、捻挫どころか痣の一つさえ。
くらわないままに人を殺す。湧き出てくる機械を壊す。
「つまんねえ」
歯ごたえのなさに不満はもれるが、いうほど気に入らないわけではない。
聳えていた建物はあらかた崩れて空は広いし、自暴自棄のように突っかかってくる若年兵も殺気は立派だ。
返り血を避けることは頭の隅っこにおいて、大分後ろで無粋な銃をぶっ放している部隊のエージェントは無視を決め込み。
「飽きた」
空へ、飛び上がる。足下に動くものはほぼいない。傾いだ建物から突き出す電波塔へ乗り移れば到着した時と何ら変わった所のないヒィッツが座っていた。
「さぼってんじゃねえよ」
「私の働きが見えないのか?」
「見えねえ」
赤くそまった手をぷらぷらと揺らす。ヒィッツのスーツに触れるとハンカチを押しつけられた。喉につっこんで殺してやろうかと思う。
「撤収まで何分だ?」
「20分ほどだ。下級エージェントがようやく到着したな」
「遅ぇ」
尖塔そびえ立っていた街が見下ろすばかりの瓦礫とかし、兵器をつくりだしていたプラントが人員ともにさらにその下に埋まっている。
昼寝に満たない時間でそれをやってしまえるのがBF団が十傑衆の力。多少力をつけた勢力など相手にならない。
圧倒的な力で、弱他を踏みつぶす快楽を味わう。
嫌悪も躊躇いも後ろ暗さもなく、この愉快のために訪れたのだと嘘でも宣う。レッドはヒィッツの寄越したハンカチで手を拭き、ヒィッツに投げ返す。
ヒィッツは迷惑そうに受け取り、スーツのポケットに仕舞う。
「捨てろよ」
「なぜ」
「血の臭いがする」
「今更だろう」
白眼に点々と映るのは街を焼く焔。火炎弾をヒィッツの視線の先へ投げ込むと驚いて振り向いた。
『いらないもの2』 最強の指と魔王
轟音をたてて崩れる建物が宙でさらに断ち切られ地を這うひとへ降り落ちる。極彩色の蝶々が灼熱の熱気に呼び込まれたように、ガラス張りの塔がフレームも残さず砕けて落ちる。
見渡す限りの構造物がいずれもどれもそれもなにも、華麗に砕けて降ることを競い合い削りあう。
なかにいた人も、飼われていた動物も、生きていた植物も、全て身に破片を受けて潰れて転がる。
銃器が集められていた場所では爆発が起きていた。水道管が破損し一帯が水に沈む箇所もある。
構図をとるように、
両手の親指と人差し指で四角をつくり極小の世界を切り取る。むごいばかりの世界の群れに樊瑞は手を下ろし膝に置く。
カツリ、カチリと靴音を立て薄い笑みを浮かべた男が悠然と歩き来た。
「監査は無事終了したか? あなたほどその任に向かぬ人事もないと思うが」
「ゆっくり見せてもらった。たまには現場に出るべきだろう」
実験都市の破壊。
今回ヒィッツに下された任務はBF団が別名を騙り試作した実験場の廃棄だ。最小戦力による最短時間での最大破壊。
団内にも秘匿を要すひとでなし作戦はヒィッツの琴線に触れたらしく開始後1時間で現状が現出している。
「そこを動かなかったように思うが?千里眼か」
樊瑞はヒィッツの軽口にうなずく。冗談をいう人間ではないが俄かには信じがたい。ヒィッツは苦笑に表情筋を落ち着かせ己がなした破壊を振り返る。
「久々の現場はどうだ?リーダー殿」
「悲しいな」
樊瑞がヒィッツに並び、千里万里を見通すように遠い目をして一つ頷く。
「帰るぞ」
子に帰宅を命じる声で樊瑞は破壊に背を向け歩き出す。ヒィッツはきな臭い空気にひらりと舞うピンクのマントを目で追い、確かめるようにもう一度都市だったものを見返す。
なにが悲しいというのか。
問いかけるには離れた距離をカツリカチリと歩いて縮める。やけたアスファルトで溶け固まったガラスがヒィッツの踵に砕かれた。
『腕が』ヒツとアルセルとイワン
腕が、右腕が動かない。寝台に横たわったまま今日の予定を思いだす。
左腕で額を押さえる。鈍痛。波間のような頭痛。
遮光カーテンの隙間から青白い光が入ってくる。夜明け間際といったところか。シーツの感触は寄越すくせに、右腕は皺の一筋をひっかかない。二度三度試し、目を見開く。ひゅっと喉から悲鳴がでた。
腕が、動かない。
ヒィッツカラルドは身を起こし、左腕で右手を掴む。「最強」の指は主の気も知らずに休んでいる。
素晴らしきヒィッツカラルドの右腕が動作不良を起こしている頃、眩惑のセルバンテスは左腕の不調を覚えていた。ヒィッツほど明瞭に腕が動かないわけではない。
「おやおや」
常より神経伝達が遅く、感覚が鈍い。サイズの会わない手袋をどうにかひっかけているような感覚。右手で左手をつかみノートPCのキィボードにのせる。左手の反応が悪いせいで画面にはおもしろい文が綴られる。
そのままメールを一本打って盟友に送信した。盟友はすぐに電話をかけてくる。左手で携帯電話を出し、取り落とした。
「イワンくんを貸してほしいなってメールしたんだよ」
「世話なら自分のエージェントに頼め」
「この構造物のなかで一番美味しい紅茶を独り占めかい」
まだ月も眠らぬ早朝にとんできたアルベルトが落とした携帯を拾い、PCの右へ置く。
「違和感はいつからだ」
「今。疲れじゃない?たまに眼とか耳がおかしくなるのと同じだよ」
「私は眼も耳も疲れで変調をきたさない」
「まぁねえ。僕はパーツがどうなっても別に困らないけど。アルは手が動かなくなったら困るねえ」
カチカチと右手でキィをたたく。表の仕事の関係だとセルバンテスはいうが、アルベルトは気まぐれのお遊びだと気づいている。
「紅茶を飲まない?」
君も来たことだし。イワンくんもそろそろ起きるでしょう。盟友の提案をアルベルトは鼻で笑う。
「任務で極東だ」
「ヒィッツカラルド様」
極東市街の小さなホテルに似つかわしくない芳香が漂う。銀のトレーに乗ったティーセットは白磁。
茶請けには手製のマカロンを添えてドアの前にたつはBF団一美味な紅茶をいれる男ーイワン。
任務でアルベルト以外の十傑集と組むなど虎の巣に生皮剥がれて放り込まれるような気がしたが、相手がヒィッツなら随分と穏当だ。
ワゴンを横にドアをノックする。今回の任務は調査半分、破壊が半分といった物。先までイワンが調査した情報をヒィッツへ渡し、ヒィッツが崖っぷちまで乗り込んで破壊、イワンが回収して帰還することになっている。
午前七時五分前。この時間に訪ねるよう指定したのはヒィッツだ。鍵が開いていたのか、老朽化の進んだ建物は軽いノックでぎしりと動き、僅かに開く。
ドアが、ぴしりと音をたてて瓦解した。
「ひっ」
突然に視界が開ける。驚いた顔のヒィッツカラルドが左手で右手に「指弾き」の形を取らせていた。
「すまない。イワン、怪我はないか」
「ありません」
平生を心がけてワゴンを部屋へ運び入れる。
「おはようございます」
ヒィッツにさっとガウンをかける。紅茶をサーブし、あちこちが切断された部屋をそれとなく観察する。
「おはよう」
挨拶を返すヒィッツはつとめて平静を装っていて、何事が起こったか説明する気は見られなかった。
『腕が2』怒ヒツ
雪がはらはらと降ってくる。
手をかざして甲に受け、風に運ばれた一枚が頬で溶ける触覚。
傘がかざされる。頭上覆う赤い唐紙貼りの傘。背後にたった怒鬼の髪が肌に触れてくすぐったい。
「積もるだろうか」
「積もるだろうな」
一面の血の海。なぎ倒された重機、虹色に濁るオイルとひき潰されたなにかの毛皮。これを全て埋めるほど雪は降るだろうか。
傘に手を伸ばす。雪の触れた紙はなんでもないようにぴんと張っている。
「怒鬼っ!」
風呂場からヒィッツの声が響く。帰還途中に暴風に見舞われ、急遽宿をとった旅館でのこと。
同じ憂き目にあった客たちで宿はばたばたしていたが、当然のように最上の部屋をとる外国人に女将の頬は緩みっ放しだった。
その外国人ことヒィッツカラルドだ。さっそく部屋付きの露天風呂に入り、熱さに驚きつつも体を伸ばしたのは数分。
「ぬるぬるする・・・」
皮膚が溶けていくような違和感。まさか宿側の手落ちで皮膚が溶けることもないだろう・・・と。
ご当地お馴染みのナニカだろうとどういう流れか同室になった怒鬼へ声をかけてみた。
実際声が裏代わりかけたのは未知への恐怖。ご愛嬌。
「これは、なんだ?」
白濁の湯に半身を浸けたままぬめる左腕を右腕で撫でる。ぬるり、と。薄皮一枚がむける感触。
「温泉成分だ。美肌効果があるそうだぞ」
「は?」
「心配ないということだ」
ヒィッツの左腕を怒鬼が捕らえてなぞる。指について白い澱を口に運び舐めた。
「皮膚が溶けた味ではない」
常から細い目をうっすらと開けて、安心させるようにヒィッツにいう。捕らえた腕をあっさりと離し、怒鬼は部屋へ引き返していく。
呼び止めて礼をいおうとして、舌が喉に張り付いて、ヒィッツはもごもごと頬だけ真っ赤に染めていた。
浴衣を纏い部屋の前に設けられた庭へ下駄で降りる。
入れ替わりに怒鬼は湯に入っていた。慣れない下駄と雪景色に湯気のあがる体をさらし、風を頬に受ける。生乾きの髪がはりついてきた。
暴風も重みを増した雪も建物の構造柄客間に押し寄せてはこないが、戦場の通り雨に似た緊張感がぴりぴりと首を走る。それが楽しくて仕方がなかった。
「・・・・・嵐の前のこどもと同じだな」
植え込みに積もった雪を掌に集める。拳ほどの雪玉を二つ、三つつくり露天風呂の方へ歩く。
「怒鬼、」
湯につかる黒い長髪に、さきほどの礼をこめてぶんっと一つ投擲した。
「ヒィッツ・・・?」
「風情だろう?」
もう一つ。一つ目は湯に落ち、二つ目は手に受け止められる。
「雪兎だ」
「冷えるぞ。もう一度はいったらどうだ」
雪玉に赤い実をねじこんだ姿を雪兎といわれるのは苦しいが、見えないこともない。怒鬼は手の中の兎を頭の上に乗せた。
他にすぐに溶けてしまわない場所が思いつかなかった。
ヒィッツは目を丸くして腹を抱えて笑い、怒鬼へ方腕を伸ばす。
「今日は無茶苦茶だな」
「ああ。どうもそのようだ」
怒鬼が先のヒィッツのように半身を湯から出し、伸ばされた腕を掴んで引き上げる。無造作に浴衣を脱いで湯へ浸かるヒィッツに怒鬼は思い切り顔をそらす。
「そんなに他所をむくことはないだろう?」
隠し持っていた最後の一つを怒鬼の頭上のものに重ね、ヒィッツはやはりぬるりとぬめる怒鬼の腕をとって苦笑した。
『ぬいぐるみ』レッド
淀んだ目をした赤ん坊の母親の忘れ物。眠たい目つきのクマとウサギが背中を見せて床に落ちている。
赤ん坊は泣きもせず、横転したベビーカーで半眼の態。一緒にいた大人は逃げるか死体になっている。
なんて日常。ひどい時代。
ぽつんとショッピングモールに一人立ち、ぬるい笑顔が浮かぶのは他に表情の選択がないからだ。
「くだらねえ」
愉快でも不快でも悲しくも楽しくもなくて。諦めも感傷も失望も縁遠く。
マスクザレッドは爆弾を仕掛けに来た場所で、先に襲撃をはじめた地元組織の暴挙を始めから終わりまでみていた。
それは星の数より繰り返される陳腐な型通りにマシンガンではじまり、空気の焼ける臭いで終わる。どこかの仕事帰りで残弾をばらまきたかっただけなのかもしれない。
彼らは早々に立ち去り、レッドは置いてけ堀の赤ん坊とぬいぐるみを前に立っている。
一つを拾って予定通り爆弾をしかけて戻した。
一つを拾い、埃をはらってぶら下げた。
残り一つはほったらかしに数歩進んで戻って拾った。
ビルの裏口から歩きでる。街はあちこちで建物が倒壊がはじまり地震のように足下が揺れている。
「なんだそれは」
「土産」
「冗談だろう」
「そうかもな」
両手に荷物をぶら下げてレッドは本部の廊下を音もなく歩く。ヒィッツは隣に並び、だらんとぶら下げれた荷物の一つを横から奪って両手に抱いた。
「気に入ったのか?」
「馬鹿か。赤ん坊はこうやって抱くんだ」
ようやく首が座ったころの赤ん坊が胡乱な目でヒィッツをみる。ばたばたと少し暴れ、動かなくなりレッドをみた。
その様子をレッドも胡乱な目で見、もう片方の荷物を赤ん坊とヒィッツの間に押し込む。
「やる」
「は?」
「ガキ育てる施設があるだろ、放りこんどけよ」
「お前何言って」
「拾ったモン殺すのもなんだろ」
今度は足音をさせてレッドが居住棟へ向かっていく。みょうにじっとりした雰囲気の赤ん坊と汚れたウサギのぬいぐるみをおしつけられヒィッツはレッドの背中を睨むが、制止の声はでない。
「なにを傷ついているんだ、あいつは」
小さく赤ん坊に問う。BF団の養成施設へこどもを送るよう手配し、ヒィッツは酒を持ってレッドを訪ねた。
『ぬいぐるみ2』レドヒツとサニー
「こういうのを貰うと女は嬉しいのか?」
「女によるだろうが・・・。私はこれを喜ぶ女とはお近づきになりたくないな」
首にマフラーも珍しくない、北よりの観光地でレッドとヒィッツがデパートのショーウインドーを眺めている。
レッドが示すのは目玉に黒真珠、首にダイア飾りのネックレス、オールドローズのドレスで鎮座する子ども程の大きさのヌイグルミだ。
見るからに熊。隣に同様の兎のぬいぐるみの写真もある。
「すげぇな。これだけ出せばヘリが買える」
「戦闘機一台分のヌイグルミか」
「お前はこういうの貰うと嬉しいのか?」
「嬉しくない」
何をいいだすのだこの馬鹿忍者は。ヒィッツがレッドを睨みつけるが、レッドは既に歩き出し屋台に酒を注文している。
「こっち来いよ。よほどお前の好みだろう」
大きなフランクフルトを受け取り、大口をあけて齧りつく。屋台の従業員だろうレディがレッドの食べっぷりに両手を叩く。お連れさんもいらっしゃいよ、と。酒瓶と料理を示し愛嬌一杯に呼びかけられる。
ヒィッツが屋台につくまでにレッドは一本目を食べ終わり、ホットドッグを注文したヒィッツの料理が出されるのを分かりすぎるほどに待ち構えていた。
「お嬢ちゃん、お土産だ」
帰還した翌日の昼。真珠もダイアもドレスも付属しないテディベアを手にヒィッツがサニーを呼び止める。
「まぁ、くまさん! ありがとうございます、ヒィッツおじさま。レッドおじさまとご一緒でしたの?」
カワラザキに午後の講義を受けに行く途中でサニーを捕まえられたと、安堵したヒィッツに思いがけないローキックが決まる。
精神的にはサニーの一言。物理的にも背後からレッドの蹴りが入っていた。
「あら?」
「あら、じゃねえ。こいつに用はねえね?貰っていくぞ」
蹴りに続いて手刀。そうと思えば首を絞め、レッドが紫になっていくヒィッツを荷物のように担ぐ。
「うさぎのぬいぐるみをありがとうございました、レッドおじさま!」
くるりと背を見せるレッド(と背負われるヒィッツ)をサニーの声が追いかける。つい数十分前に「やる」と一言。
礼もいわせずうさぎのぬいぐるみを投げて寄越したレッドに対する誠心誠意の少女の言葉。
「・・・・・・・・・ふっ。お前も」
「黙れ。記憶が飛ぶまで犯してやる」
背中で緩く笑むヒィッツに酷薄なレッドの声が刺さる。ヒィッツは始末書覚悟で本気の逃走を試みた。
『悪魔』残ヒツ
唇を合わせたのは既に三度目。
白眼に涙の膜をまといヒィッツが壁に後頭部を押し付ける。資料庫の隅の埃っぽい壁と、博士帽のようなマスクを被った残月に挟まれて窮屈そうな割に表情は余裕で笑んでいる。
右手に残月のネクタイをつかみ、左手に指を切りそうな資料の束を掴み一筋、涙を頬に流す。
「ヒィッツ」
「止すのか?」
「止さなくていいのか?」
「お伺いとは。優しいな、残月」
「きみが欲しがるならなんだって与えるさ」
四度目。これまでよりも深く、丁寧に残月がヒィッツの口を吸う。資料庫で偶然出会い、引き込まれるように隅へ連れてこられたが「偶然」の遭遇かどうかもわからない。
残月は自棄か自傷か発情期なのか、自分自身を振り切るように体を求めてくるヒィッツを壊れ物のように扱う。
真実今壊れそうなのはヒィッツの感情で、あえて壊そうとしているのはヒィッツ本人だろう。残月がヒィッツを大切に扱うほどヒィッツは残月にしがみつく。
「なにがあったんだ?」
「なにもない」
「なにもないことだって、あるな」
「なんなんだ、お前は」
「それは君にききたいね」
マスクをはずし、胸にヒィッツを抱きしめて穿つ。ヒィッツはびくりびくりと震え、残月の背中に爪傷をつくっていく。
「きみは私の悪魔だ。私もきみの悪魔でありたい」
囁き、のけぞるヒィッツの背へ添う。操り糸が切れたように動かなくなったヒィッツを残月はハンカチで拭う。散らばった資料で紙飛行機をつくり、わずかな空を滑空させる。
「悪魔?」
パチンと一つ。指を鳴らしヒィッツが紙飛行機を二つにわけた。
「欲しがるものは何でも与える。それが誰のためにならなくとも」
「私はお前の悪魔なのか、残月」
「訂正しよう。女神だ」
「ふざけろ」
枯れた声でヒィッツが笑う。ようやく戻ったいつもの声に、残月は調子よく紙飛行機をとばし、ヒィッツは技巧的に撃墜していく。
「必要な書類じゃなかったのか?」
十分に紙くずが床を埋めたころ残月はヒィッツへ囁き、苦笑する彼へもう一つとっておきの現実を告げる。
「ここを封鎖している気の利くエージェントに何かお礼をした方がいい」
気配を探ればすぐにわかることだが。ヒィッツは瞬間顔を真っ赤にしてあさっての方向を睨んだ。
『悪魔2』レドヒツ
東欧の旧首都。ごみごみとした街をごみも残さず消すためにレッドと二人派遣された。作戦決行は明後日。
破壊活動に着手する前に値打ち物を拾っておけと厳命。
孔明らしい命令に朝から晩まで動き回る疲れがでたか、いまの私はレッドがちょっとぎょっとするほどに気を荒げて口をゆがめていた。
驚いたレッドの顔を見るのは久しぶりだ。黒目に映る自身の姿が醜い。
バシュタール以前はなにをしていたのか?
古過ぎる町並みを歩くうちにぽつりと口をでた言葉だ。レッドは簡潔に忍びといい、私は言いよどんだ。
別に語れぬ過去があるわけではないが、澱んだ言葉にレッドがとびつきあれこれと嫌がらせのように質問を重ねる。
なにも生まれた瞬間、学び舎に通う時代から殺戮破壊が好きだったわけではない。
具体的に何歳で物体の破壊に喜びを感じ、どういう契機で人を殺し、所謂ところの裏世界にどっぷり浸かっていったのか。
プレゼンをする自信はあるがそれを実際という度胸はない。
「経歴が知りたければ履歴書をみればいいだろう? 興信所を雇うか? お前が今の私の在り様を解体理解する立場だとして?」
楽しいと感じることは無数にある。快楽に痴れる作法も身に着けた。生きていくのに必要な社会的・非社会的な諸々を上等なスーツと一緒に身に纏い折からの雨に傘をさす。
「お前が知る私だけでは不足か? レッド」
なんて、どうしようもない。不安か不満かただの弱さか、今の自身の成り立ちに触れられるだけで動揺する。「素晴らしき」と冠する前の自身を暴かれることに恐怖すら感じる。
相手が他の誰かなら涼しい顔をできただろうに。
後悔は胸に湧き、傘を落とされ雨に湿気る。
「お前は興味ねえの? 十傑以前の俺には?」
レッドの目が迫る。壁に押し付けられ、レッドの背中に口笛を投げかけ通り過ぎるゲイカップルを見た。
「ない」
できるだけきっぱりと言い切る。レッドの目が歪む。面白そうに吊り上げる。
「お前が、お前が相対する俺だけで満足だってんならもっと沢山教えてやらないとな?」
バシュタール以前もそれ以後も、この男は何も変わらずこの有り様なのだろうか。差が出たのならそれは知りたいと思う。過去を知りたいというのではなく。
「願い下げだな」
じっとりとした雨に二人そろって濡れていく。抵抗するとレッドは簡単に退いて傘を拾い、寄越した。
「俺はお前が足らねえよ」
傘と一緒に言葉も寄越す。自身の傘はささず、横に入って進めと小突いてくる。
「とっとと帰りてぇな。湿気すぎてんだ、ここは」
「・・・同感だ」
旧時代然とした瓦斯灯が小石の投擲で壊れる。レッドは止める間もなく石礫を投げ、割れた瓦斯灯が雨でスパークすると鼻を鳴らす。
そうして幾らも歩いて、さっき通り過ぎたカップルを見つける。再度鳴らされる口笛と、仲直りおめでとう、の声。
殺したいなぁとぼんやりと思う。レッドは私を見上げ不敵な表情で笑っている。「鏡見ろよ」
鏡の持ち合わせはない。空いている手で顔に触れる。
「悪魔みてぇ」
「・・・だれのせいだ」
情けない類の表情をしていることは残念ながら理解できた。
『悪魔3』幽鬼
とんぼの羽が壁一面にピンで留められている。
よくよく見れば薄い透明なプレートが壁に飾られているのだと気付く。
気に入りのコレクションだと一人掛けのソファに座り幼い娘がいう。
「綺麗でしょう?」
同意の外は許さないべったりとした声にいい加減辟易して、幽鬼は否と頭を振った。
「悪趣味だ」
不健康な青白い肌、ぞっとするばかりに黒い瞳。触覚のような前髪が娘に向かいそよぐ。
娘は幽鬼をみつめ、いつものように蒐集心をくすぐられる。現実には決して入らない小瓶に幽鬼を閉じ込めて陳列棚に飾りたい。
「なぜ悪趣味とおっしゃるの? 虫がみんな死んでしまうからかしら?」
「違う」
「虫が可哀想だからでなければ、なぜかしら。死体を飾る行為だとおっしゃる?」
いままでいわれたことのある理由を娘は陳列する。幽鬼はいずれも否といい、終始垂れ下がっていた指先を少し持ち上げた。
娘の鼻先にちょんと指をあてる。娘の目が指を見る。
「とんぼも同じ風にするんだ。あんたは生きている虫を追ったこともないんじゃないか?」
娘の鼻から指を離す。体温がかすかに移った指先を惜しそうに見送り娘は是と首肯した。
「生きている虫なんて、気持ち悪いですわ」
窓の陽光をあびてとんぼの羽が光を弾く。
幽鬼は窓から外をみつめ、人工芝がどこまでも続く庭に肩を落として出て行った。
庭の端に突き当たると場違いなオフホワイトのドアにぶつかる。ドアを開き、幼い娘が一人で遊ぶ庭付きの部屋から研究棟の一室へ抜け出た。
「おつかれさま。AIの様子はどうだった? 会話が弾んでいたようだが」
「なぜ俺にあの娘と話をさせる?」
「あの娘ときたか。俺たちはそんな風にあれを見ん。最高の感能力者に人間扱いされるなら、実験も本段階に入っていいかもな」
研究者がヤハヤハと笑う。覆面を被っているのに表情が露骨にでていた。
「ありがとうよ。カワラザキの爺様にもよろしくと伝えておいてくれ」
「・・・わかった」
悪趣味だ、と幽鬼は口の中で呟く。この研究者が爺様の旧知でなければ、またここがBF団本部の敷地内でなければ、建物ごと全部なぎ倒してしまうのに。
否。幽鬼が歩きながら首をふる。自身が何をこんなに不快がっているのかわからない。研究設備・人員を破壊しても一時自身の気が済むだけで不快を感じるこの有り様が何ら変わらないことはわかる。
「生きている虫なんて、」
耳奥で娘の声を思い出す。爺様のもとへ帰りながらヒィッツに会いたくてたまらなくなっていた。輝く陽性の彼にあえば、気付きだしている単純な答えを瞬時に一蹴できるだろうから。
『ロリ』レドヒツ
所謂三千世界を旅しても目にせぬ物はあるだろうし、たかだか数十年生きただけでは感じぬ想いもあるだろう。
生れた世界の、育った体の、肥大した精神で、身に着け得る力を以って。
今現在自分の最大最高スペックを駆使しても逃げ切れない事態に直面してようやく、決して手の届かない異次元の「力」がこの手に欲しいと切望した。
「ない!それはない!!」
「似合うって!ヒィッツのくせに暴れるなよ」
「くせにってなんだ!レッドのくせにどっからそんな着物を持ってきた!」
「お前こそくせにってなぁ・・・。衝撃のおっさんの屋敷からにきまってんだろうが」
部屋自体は広いのに、雑然と背の高い家具が置かれているため随分と狭く見えるレッドの私室にて。
ヒィッツは全体的に「ひらひら」した衣装を山と抱えたレッドに迫られ障害物競走よろしく走り回っている。
相手は忍者。無茶苦茶な家具の配置も普段の鍛錬のためにやってるんじゃないの?と思うほど(そんなことはなく、思いつくままに通販で大物を買うのが大好きという悪癖の賜物だが)切れのよい動きでじたばたと暴れるヒィッツの後ろをぴったりとマークしている。
レッドにしてみれば追いかけっこ。獲物が疲れて動かなくなるまで弄るが愉悦。「アルベルトが!サニーのサイズじゃないだろう!!」
「想像させんなよ。おっさんか、じゃなきゃ幻惑の趣味じゃねえの」
ヒィッツはその「ひらひら」の出所に驚き白い顔をさらに白くさせる。レッドは「ひらひら」を着たサニーザマジシャンの実父と恋人の姿を一瞬間想像しかけて緊急回避を試みる。
「ひらひら」はレースやリボン、シフォン地のひらひら。
所謂ところのロリータファッション。それの大人の男用特注品。ひらひらばかりか、「ふわふわ」している。
「なんでも持ってきたモン着るっていっただろうがよ」
嫌な想像を振り払うため、本気で腕を伸ばしヒィッツの肩を掴んで壁へ押し付ける。
「着ろ」
国際警察北京支部へ潜入し、九大天王の髭を拝借してくれば好きな服を着用してやる。どういう話の流れだったか、ヒィッツはレッドと酒を飲みそんな言葉を口走っていた。
ヒィッツが髭を拝借してくればレッドに一ヶ月接近禁止令を出せるということにもなっていたが、現実問題そんな難事をやり遂げたところで得られるものは約束不履行のレッドの姿と結果がわかりきっている。
だからヒィッツはそんな話、すぐに忘れてしまっていた。
「断る。なんでそんなものを私に着せるために、お前は一生懸命なんだ」
「ごちゃごちゃうるせえ! 見たいからに決まってンだろうが!!」
魂の叫びは時に哀願の形をとる。
凶悪な手つきでヒィッツの服を破りさき、イメージトレーニングのしすぎじゃないかと背筋が寒くなる手際のよさでレッドはヒィッツに「ひらひら」の「ふわふわ」を着せていった。
「・・・・・・・・・・」
「ふん♪」
黒い靴下に赤いエナメルパンプス。ショートケーキのようなカチューシャに袖とウェストを黒いリボンで絞ったバルーンワンピース。
「変態」
「そりゃあ俺の台詞だろうが。この変態」
ご丁寧にも鏡を用意し、レッドは上機嫌でヒィッツにぽんぽんと罵倒を浴びせていく。
「つまりお前は私を馬鹿にしたかったんだな?」
「いいや。お前のその姿がみたかった」
「馬鹿にしてるんじゃないか」
「他に解釈があれば聞かせてみろよ」
可愛らしいから見たかったとか。愛らしいと思っているとか。
真実らしくいって見せればヒィッツは青筋をたてて怒りを見せる。実際事実、それが本当だとレッドはふざけた調子を心がけヒィッツに耳元に塗る込むようにささやきかける。
「喰っちまいたい」
いえば、ヒィッツの拳が飛ぶ。レッドは拳を掴み口へ運び噛み付く。
ヒィッツが少しだけ怯えた目でレッドを睨みつけた。
『奇形』魔王と策士
腹を抱えてうずくまる。痛むのは臓物だ。臓物の底から肉へ腐汁が滴り落ちている。体の内側から腐って、毛穴から腐臭が立ち上る。髪の毛が抜けて、毛根から膿が散る。
妄想に妄想を重ね、痛みにひねくれた高揚をねじ込み、腹を抱えた格好で孔明は痛みを切り捨て無理やり立った。場所は勿論執務室。
痛みも痛みに対する孔明のひねた笑いも痛みそのものを切り捨てる姿も、見るものはいない。
「馬鹿馬鹿しい」
扇で口を覆い、水を喉へ流し込む。執務机に戻れば際限なく彼の採決を待つデータが城をなしている。
やせ我慢の脂汗がふつと沸くが無視を決め込みキィボードへ指を走らせる。
痛いがどうした。不調などいつものことだ。
戦闘員の死亡データで部署ごとに点数をつける。
同時進行の作戦計画と予算をすりあわせる。使途不明金を洗い出す。十傑集へのクレームを実害と対照する。
死んでる暇があったら働け。毎日のように消えていく人的資源と敵対勢力、日々成長するBF団のネットワークと入れ替わっていく名前。
膨大なデータを指先で処理しながら孔明のこころはPCどころか電気の概念すらなかった昔、原野を馬で駆けた記録映像を再生する。
「今」の「孔明」が体験したことではない。古代中国で三国が覇を競ったあまりに原始的な戦いの「記憶」。
馬鹿馬鹿しい、と。孔明は口にできず机を指でとんとんと叩く。
脳は案件をどんどん処理しているのに、こころはあまりに鮮やかな緑色の記憶を泳ぎ、指は迷い子のように途方に暮れて立ちすくんでいる。
痛みはとうに限界を超え、顔色は紙のよう。
空調の効いた部屋で呻き声も漏らせず姿勢を保っている。
泣けたらいいのにと唐突に思った。
思案も回顧も不調も不安も一時に「涙」を求め凍りついた。入り口に魔王が立ち、今しも涙を流そうとする孔明を見据えている。
「作戦に不明がある故尋ねにきた」
「問い合わせはメールでして下さい」
「そう言っていたと思ったが、たまには顔をみねばな」
「顔をみたらどうだというのです」
「人間と仕事をしているのだと納得できる」
スーツの上にピンク色のマントを羽織り、あつくるしい髭面で魔王は孔明の正面に立った。触れるか触れないかの距離で、机に置かれた孔明の指先に手をつく。「しばらく休め」
「馬鹿をいわないでください」
「倒れたら元も子もないだろう」
「退出してください」
「酷い顔をしている。そんな顔をした人間の立案で動きたくない」
「酷い顔なのは昔からです」
心臓を殴られたような感覚に視界がかすむ。魔王は机に手をついた姿勢のまま、暑苦しい顔をさらにうっとうしく歪ませて孔明の顔を覗き込んでいる。
「大丈夫か!?」
昔。どれだけの昔か、わからないほど遠い時代も今のように「酷い顔」で同じような仕事をしていた。
うわごとのように口から流れることばをなんとか口内に留め、孔明はぴしゃりと近付いた魔王の顔をひっぱたいた。
「近いですよ。出て行ってください」
さすがに魔王も怒るかと思ったが、心配そうに表情を歪めたまま孔明を見つめる。
「休め」
重ねていい、今度こそ魔王は背を向けた。
「一時間後に来る。まだ仕事をしていたら力づくで休ませる」
気遣いなのだろう。さっと部屋は出たものの、魔王が歩きさる気配はない。
孔明は机に落ちた涙を見下ろし、次々後を追いこぼれていく涙たちを羨望する。
「ばかばかしぃ」
痛みで回線がショートしたのだ。整然とした頭のなかがとっちらかり、完全無欠の思考回路が古今の別なく錯走している。
「記憶」では恋しがってよさそうな人物たちも登場するがそちらに心が寄せられることはない。
涙が落ちるごとに今をいきる孔明の周りー一番手近く外ではる魔王などーをいかに効率よく動かすか、幕間劇のように浮かんでは孔明のこころを落ち着かせていく。
一時間後、魔王が部屋へ入ると一瞥もせずに孔明は警報装置を作動させた。
『囚われの人』レドヒツ
夕焼けに落ちていく。わずか数センチ、マットレスの上から床へ転がるコンマ数秒。 カーテンがゆらぐ。開きっぱなしの窓から冷たい風が吹き込む。
鳥肌は気温のせいではない。
夕焼けに落ちていく。さかしまにずれいくコンマ数秒。
床に頭をつけてカーテンの狭い隙間から外を見ていた。頭に血がのぼって少しだけ気分が悪い。燃え尽きるような赤は薄れ、紫から黒へ空は色合いを変えていく。雲は何色にも染まり通り過ぎる。
星が出始め、遠くを飛行船が行く。
マットレスで携帯が振動した。放っておくとあっさりと切れ、再度振動をはじめる。
「なんだよ」
何時間同じ体勢でいたのか。動くとめまいがした。
携帯を掴むとそのまま握り潰しそうになった。力の加減がおぼつかない。
「何時間待たせるつもりだ」
「何時間待ってんだよ」
電話の声はヒィッツ。咄嗟に言い返し、通話を切られ思い出す。今日は夕方からヒィッツを外に呼び出していた。とくになにがあるわけでもない、街灯や遊具が所々残ったテーマパークの跡地をみつけ。
そこを二人で壊したら面白いのではないかと今朝方思いついて。
脅すようにして約束をとりつけたのだ。待ち合わせの時間から既に二時間経っている。携帯の着信履歴は何度もヒィッツからの連絡を示している。
どれだけ惚けていたのか。一応かけなおすがヒィッツが出るわけもなく、レッドは窓の隙間から外へ飛び出す。
幕の内を落ちる。
ヒィッツを捕まえて無理やり目当ての場所へひきずりこんだとして、
「信じねぇだろうな」
夕焼けに囚われていたらしいなどと、いうだけ無駄だろう。
腕に残る鳥肌をなで、ヒィッツの影を求めて走る。携帯が震えて再度のヒィッツからの呼び出しを知らせた。
『囚われの人』レドヒツ
呼吸ができないほどの猛風に弄られてヒィッツカラルドの髪がばさばさと泳ぐ。呻き声も出ない。舞い上がった砂が閉じた瞼を殴りつける。
立っているだけならば難しいことはないが、風を突っ切ることはできない。
頭がくらくらとする。酸欠のせいだ。音が聞こえない。
(まずいな・・・・)
なかなかにピンチだった。意識が一瞬遠のき、体が風に持っていかれる。
踏ん張ったつもりが、宙をまった。風に吹き上げられ、「天井」へ叩きつけられる。肺に残っていた最後の酸素を吐き出す。
痺れる頭で背中と「天井」の間へ指を一つ弾いた。
「もう少し早く出てくると思ったのだけどね」
黒檀の机に砕けたひょうたんがある。床には背中がぱっくりと裂けたヒィッツカラルド。椅子に腰掛けたセルバンテスが自身とヒィッツの間にたつレッドを面白そうに見つめている。
「君の賭けが勝ったのにちっとも嬉しそうにないね?」
セルバンテスがひょうたんの割れ目へ指をかける。先日セルバンテスが旅行先で買い付けたものだ。
行商人の売り口上は「西遊記で金角・銀角が孫悟空を閉じ込めたというひょうたんの模造品」。イチからジュウまでフィクションの、まさに種無し外張りだけの絵に描いたひょうたん話。
セルバンテスは面白がってヒィッツカラルドへひょうたんを向けて声をかけ、返事を残して吸い込まれたヒィッツカラルドが、どれだけの時間で出てくるだろうかと今度はレッドへ声をかけた。
「賭けに負けた分、きっちり払えよ」
「勿論」
クナイのよう、鋼色の眼を光らせてレッドが荷物のようにヒィッツをかつぎあげる。ヒィッツの背中から血が床へ垂れる。レッドの体を濡らす。
「もう一つ、いっておかなくていいのかい?」
「・・・・・・・・なんのことだ?」
「なにもないならいいのだけれど」
ひょうたんを机の上でくるくると回し、セルバンテスが機嫌よく笑みを浮かべる。「例えば、素晴らしきにちょっかいをだしていいのは自分だけだ、だとか。
例えば、私の首も安泰だと思うな、だとか。ね? 君の目はいっていないかい」
部屋をでるレッドに戯れの言葉を投げる。レッドは振り向かず、声も出さない。ドアが閉まり一人部屋に残されてセルバンテスは哄笑をあげる。
「あはははは。いうまでもないってことかな?」
黒檀の机にひょうたんが二つ。一つをクナイが二つに割って、直立のまま鋼の輝きを放っている。
「下ろせ」
「声震えてるぞ」
「出血が過ぎただけだ」
「貧血か?お嬢さま」
レッドが医務室へ乱暴にヒィッツカラルドを投げ込んだ。診察室にいた医者も患者も飛び上がり、患者は早々に逃げ出していく。診療台の前へ着地したヒィッツカラルドが忌々しそうにレッドをみる。
そっくり同じ表情でレッドに見返され、僅か怯む。
「座ってください。背中を縫います」
その背に医者が着席を促した。麻酔を問われ、ヒィッツは不要と応える。
「輸血は」
「それも不要だ。傷口を縫ってくれればいい」
「わかりました」
「髪ぼさぼさだぞ」
「・・・・・・・」
「伊達男が台無しだな?」
「それをいいに運んだのか?」
「馬鹿かてめぇは。馬鹿だからそんな目にあってんのか。そうだな、馬鹿だ」
馬鹿にしきった顔でいいきり、ヒィッツを鼻で笑う。
「死に顔も馬鹿面だろうな。お前、俺のいないところで愉快にくたばるんじゃねぇぞ」
「・・・・・・それがいいたかったのか?」
「あ?」
「お前より先には死なんといったのだ」
「くたばれ」
「さっきと反対じゃないか」
「俺の目の前ならいいんだよ!死ねっ」
医者の怒声が響く。ヒィツに掴みかかろうとしたレッドが動きをとめ、元の位置へ戻った。
【医務室での騒動は厳罰に処す】医者に示されるまでもなく、そこら中にかけられた警告文と監視カメラに承知と頷きを返す。
「レッド」
「・・・なんだよ」
「礼をいっておく。運ばれ方には不満があるがな」
「楽しみにしとけ。次は両腕に抱えて運んでやるよ」
「ぞっとしないな」
背中の裂傷を縫われながらヒィッツカラルドが朗らかに笑う。医者は自身の指先だけに集中し、極力十傑集の表情を見ないよう命をかけた。
『拘束』レドヒツ
ワインで唇を湿らせる(赤い舌が口の端を拭う)。
冷えたグラスをテーブルに戻し(腕時計が照明を受けて煌く。月灯りを模したライトが窓際にぶら下がる小さな店)、壁に肩を寄せ息を吐く(ワインは少し甘すぎて、空調は大分温い)。
「まずい」
甘い不満。甘い不機嫌。甘い甘い甘い。自身に砂糖菓子たれと日々訓示している態度(働き蟻の妄想と女王蟻の常識)。
「もう少しマシな酒はないのか」
媚を浮かべる女が再度ヒィッツの口の端を吸う。
「確かにまずい」
女の舌が男の唇をなぞる。ヒィッツは露骨に顔をそむけて壁から身を離す。
お別れをいうように男は背を向ける。女は男がしていたように壁に肩を寄せて息を吐く。
「マシなワインはあった?」
「いっそソフトドリンクのほうがいい」
背の高いグラスを二つ持って男がゆったりと戻ってくる。明るい髪色と白い眼、卵色のスーツに他客の視線を集め女の愉悦の瞳にグラスを一つさしだす。
「綺麗な色ね」
「グリーンティーだ。・・・私の目のことかね?」
「全て」
三日行動をともにして初めて、女が微笑した。ヒィッツの額に掌をあて、目尻から喉へ撫でていく。
「あなたの主はどこからキスを?」
ヒィッツが肩をすくめる。女はほろほろと笑ってグラスの中身を一息で飲み干す。
「行きましょう」
ヒールの音色高く、ヒィッツを従えて女が階段を上っていく。ヒィッツはいつ女がガラスの靴を落とすかと楽しみに後ろを歩いていた。
「四日かけて締め上げるほどいい女だったのか?」
「いや。チップの暗号解除に手間取ってな。面白い女だったが」
安楽椅子に座り女が静かに揺れている。乾きかけた血液は黒く、女の喉をレースのように彩る。最後に浮かべた笑みは穏やかで、ひとを食ったような余裕も見えた。
「寝てないだろ」
じろじろと女の死体を観察し、レッドは寝台で襟元をくつろげるヒィッツを振り返った。
「不躾だな」
「お前の臭いがしねえ。なのに、なんかてめぇの臭いがまとわりついてやがる」
不快そうに、不安そうに。レッドは女を気にしている。
ヒィッツもレッドの様子に気付いたのか女をながめるが、常の死体と特別変わるところはない。表情は特異だが、ヒィッツはさして関心を払っていなかった。
「お前からも女の臭いがする」
「香水か?」
「ムカつく」
ヒィッツに馬乗りになって、くつろげられた首元へ噛み付く。つんと女の香りがして、ねっとりとレッドへまとわりついてくる。
「痛っ」
ヒィッツの首から血が零れる。犬歯を突きたて、かみ締める。レッドの頭を掴もうと、伸びたヒィッツの腕がベッドへたたきつけられた。
「暴れんな」
血を啜り、肉を舌でなぜ、くぐもった声でレッドが告げる。何がそんなに気に入らなかったのか。レッドの暴挙に理由を求める自身にヒィッツは辟易する。
「気狂いが」
けだものが。罵りもがき暴れ反抗する(原因や理由を考えることはない。罵るとおりにオカシイのだと切り捨てればただの強姦だ)。
「やめろ」
「呪いってしってるか?大分前に流行ったジャパニーズホラー。お前、あの女に呪われてる」
ちらとレッドが安楽椅子を示す。女は変わらずそこにあり、若干体が前に傾いでいる。
「馬鹿な」
「そうでないことがここにあるか?」
ヒィッツに馬乗りになりシャツを引き裂く。レッドの口は赤にまみれ、レッドの黒目に映るヒィッツの白い目は怯んでいる。
「何にびびってんだよ」
レッドが掌でヒィッツの頬を覆えば、ヒィッツの足がレッドの腹を蹴り上げる。
「お前の馬鹿さ加減にだ」
当然だろう、と。ベッドから立ち上がり指を鳴らす。安楽椅子も女の死体もレッドの足元もベッドも全て断片化させ鼻で笑った。
「何が呪いだ」
「気にしてんじゃん」
「女の臭いだと?その程度のことで嫉妬して」
「お前、俺の「嫉妬」を認めるんなら覚悟しろよ?」
飛び跳ねてヒィッツの攻撃をさけ、レッドは真っ赤な口を袖で拭う。とっておきの悪戯を告げる大人の面に狙いをさだめ、ヒィッツは一際高く指を鳴らした。
「これ以上どんな馬鹿なことを覚悟しろというのだ?」
満月が頭上に出ていた。
レッドの高笑いが建物の屋根が落ちていく音に被さって響く。
深夜の割りに生温い風が吹いて、得意気なヒィッツの前髪をなでた。
『拘束2』レドヒツ
「なに読んでんだ」
「拘置所の壁に書き残された詩集だ」
「は・・・・?」
テーブルには黄金色の蜂蜜紅茶とサブレに渋い草色の茶筒。茶筒は最近レッドが持ち歩いているもので、ピリッと辛い「あられ」が大量に入っている。
昼から夕へ移り変わる時候。ヒィッツの私室に断りもなく入り込んだレッドがいきなり怪訝な目をしてヒィッツの手から薄い冊子を取り上げる。
「女刑囚・・・・? マニアな趣味してんな」
「発想が下劣だな」
「下劣をかいするお前も同じだ」
ぱらぱらと頁をめくり、ヒィッツへぽいと投げ返す。
「飯」
「食堂へ行け」
「一緒に行こうぜ」
「なんで私が・・・。わざわざ食堂へ誘いに来たのか?」
「今から任務なんだよ。ぱーっと派手にぶっ壊してぶっ殺して、楽しみを馳走してやるから飯くらい作れよ」
ひとの任務にほいほいと付いていって問題ないはずがない。
ヒィッツは溜息も吐かずに孔明へコールし、同行の是非を問う。できればきっぱりと「なに馬鹿いってるんですか?」と冷笑を浴びたいくらいだったが、あっさりと許可されてしまった。
本当に派手に壊せばいいだけの単純な破壊作戦らしい。
「おら、とっとと行くぞ」
サブレをつまみ、紅茶を飲んで、茶筒を懐にレッドがヒィッツを急がせる。さっきまでのんびりくつろいでいたところを急に任務に出るぞといわれてもそう簡単にでかけられるわけもなく。
「Stay!」
思わず犬にするように停止を命じ、一瞬ぎくりと動きを止めたレッドに絞め殺される勢いで首をつかまれ連行された。
破壊も殺人も崩壊も負傷も血も地も空も嵐さえ、ヒィッツカラルドはなにほどにも思わない。
黒い旋風となってあたりに「赤」を撒き散らすレッドの火炎と血臭に酔うこともなく、機関銃と絶叫と怒声と冷徹な殺意を発する敵対勢力に一分の敬意を払うこともなく。
指を弾いて、壊して、殺して、体が芯から火照っていく感覚をひとごとのように飼いならす。
「なぁ、レッド」
一人で一個大隊程の戦果を楽にあげる忍は遥か遠く。聞こえるはずのない相手へ、聞かせるつもりのない言葉を吐く。
「これが馳走か」
指を弾く。戦闘ヘリが撃墜される。プロペラの金きり声がただ空を切る鋭利な音に変わり、聞こえなくなる。
「不満かよ? 楽しそうじゃねえか」
目の前で敵兵が何か叫んでいるのにヒィッツの脳は敵兵の声を解さない。騒音としてひと括りに処理されている。
耳奥へ直に流し込まれるようなレッドの声にヒィッツはくすぐったいものを感じる。髪を耳にかける振りをして、塞ぐように耳を撫でる。
「そうだが。まるで饗宴に囚われた作中人物のようじゃないか」
こんな特殊環境で悦びに体を躍らせるなんて、拘置所で冷たい壁にたましいをぶつける彼女らとなにが違う?
風上から流れ込む黒煙を避け、ヒィッツは高所へ駆け上がる。建物だった残骸をけりながら指を弾き、黒煙から飛び出す幾人かの影をさく。
その間もレッドが鼻でせせら笑う音が聞こえた。
「なに感傷的になってやがる」
「感傷か」
「それより!この後何作るか考えとけよ!」
「ガキはお子様ランチでも食べていればいいだろう」
敵兵とは違う格段に鋭い切込みを側面に受けた。串刺しにされる事態はかろうじて裂けたが、ヒィッツの髪とスーツの欠片と血沫が風に流れていく。
「ここでデザートから食ってもいいんだぜ?」
「こども以前の野獣だったか。任務を途中で放棄するのか?」
「こんな仕事にあと何分かかるってんだよ!!」
ヒィッツを突き飛ばし、レッドが残像を残して掻き消える。ヒィッツは裂かれたスーツをなぞり、殺すつもりでレッドを追った。
『したたる。』幽鬼過去捏造
雪を蹴散らして走る。黒い革靴、黒いパンツ。濃緑のジャケットに咲く赤い花。
「・・・・・・・・」
息を殺して細い目をいっぱいに開き前へ前へ足を運ぶ。様は派手な模様の兎。
雪原の縦断を目指し、半ばで捕食者の餌食になる。
既に喰らった銃弾が骨と筋のあいだでぎゅうぎゅうと泣いている。気温は何度を記録しているのか。
空気に溶ける息は白く、湧き出る汗は透明で、そこだけ暖かい傷口・出血は服の下で白い肌を染めている。
「・・・・・・・」
蹴散らした雪が爆ぜた。
「くっ」
声が漏れる。熱い空気の塊りに横から吹き飛ばされ、雪原を転がる。チリチリとひりつく痛みがやってくる。
すぐに駆け出そうとして、今度は目の前の雪が爆ぜる。
構わず前へ、前へ。突っ込んでいく。攻撃者は口笛を吹いた。
癇に障る薄っぺらい音色。抑留者に怯えをもたらす監督者の気まぐれの徴。
火炎の羽虫がいまや逃亡者たる男の周りを跳びまわっていた。ひらりと雪片に触れれば爆発する。直撃すれば火傷を負うが直接攻撃力は然程ない。本来それ一つを武器にして敵と相対するような能力ではない。
「ひゅぅっ」
楽しげな口笛が響く。耳の側で爆風が起き、くらくらする逃亡者の耳でぐらんぐらん響く。監督者は50メートルほど前でスノーモービルを止めてにやにやと逃亡者がよろめく様を眺めている。
逃亡者は密かに周囲に散らした郡雲虫ー蛾ほどの分身から「獲物」の正確な位置を掴む。状態を把握する。背中でまた一匹、羽虫が爆ぜた。どっと逃亡者が前へ倒れる。口笛に変わり笑い声が響く。
熱量を増して羽虫が倒れた逃亡者へ殺到し、逃亡者はべたついた口を顔ほど大きく広げて爆笑する「獲物」へ「攻撃」を分身へ命じた。
静かな音をたてて、スノーモービルが雪を蹴散らして走る。
黒い靴、黒いパンツ、濃緑のジャケットには黒ずんだ花が咲き、自在に雪原を縦断している。骨と筋の間できゅうきゅうと喰らった銃弾が泣くが、みしみしと震えるこころほど身に響かない。
痛みが髪の間からしたたってくる。雪と愉悦に塗れた男の(最後))笑声が溶け、解け、男の耳朶をなぞって落ちる。
なにも考えないようにしていた。
男の周りには蛾ほどの生き物がひらひらと追随している。何もかも警戒しようとして、何ものにも視点を定められずにいる。少し後ろには致死量の麻痺毒を受けひとつの男が倒れている。
大分後ろには幻覚剤を巻かれた異能者の抑留施設ー彼らは保護研究施設といっていたーが眠りの淵でうずくまっている。
男は手の甲で目元を拭いサーチライトの先に目を凝らした。
『びんづめ』残月と幻夜
「グラムいくらで売れるだろうか?」
首に先のまがった金具をひっかけ、防護服を着た人間がわたしを沼からひきあげる。首が絞まり、喉にひっかかっていた吐瀉物がこぼれる。
同時に沼の泥が口内へ入るが、すっかりどっぷりこの身は汚泥に塗れている。
「生きてるのか?」
首がさらに絞まる。金属の棒で岸まで引き上げ、首から金具を外して、高く高く振り上げ棒をわたしの頭部へ叩きつける。生きていては都合が悪かったらしい。
わたしは金属が振り上げられ、振り下ろされるさまをつぶさに観察していた。
金属が泥の隙間で陽光を弾く瞬間や、加害者の防護服がつぎはぎだらけであまり用をなしていないことや、味覚と嗅覚が麻痺した状態では空の青さがやたらと視覚を圧倒するということ。
二度経験し、それ以上は無用と判断した。加害者は一度痙攣し、後ろ向きに倒れて動かなくなる。
手から転がった金属は、ころころと沼のなかへ落ちた。防護服を脱がせると加害者はまだ年若い少女だった。わたしを首尾よく殺したところでグラム単位に切り分けるのは大層苦労だろう。
近くに少女の集落があるのかもしれない。興味はないが。立ち上がるとごっそりと何かが落ちた。半生になった汚泥の塊だ。まだわたしに体温があって、泥に作用する力をもつことが場違いな気がした。
ひたすらにまっすぐ歩くとひどい死体の山にいきあった。周りに極彩色の花園。花は乾燥させるとグラムで数千万の価値を持つ魔薬になる。
花園のなかを見慣れた黒覆面の構成員が歩き回っている。死体は今も方々から集められているようで、台車を押している者もいる。
「・・・・・残月さま?」
「ああ・・・。どうやらそのようだ」
泥にまみれ腐臭を放つ「私」に覆面が一人ちかづき、直立する。
それが二人増え三人増え、横にどこまでも増えていくから作業に戻るように手を振る。どうやらこうして偉そうにしている「私」は任務の途中で調査対象の魔薬にやられる馬鹿者のようだ。
まだ上の空の頭に覆面が持ってきたバケツの水を頭から浴びせる。
水源をきくと近くに川があるという。覆面は言い難そうにしていたが、機微を感じ取れるほど私は未だ回復していなかった。川にいくと最後に水を求めたのだろう、酷い面をした死体が三々五々に散らばっていた。
「私はどういう殺し方をしたんだ?」
「花の効力調査に丸一日乾燥花を焚かれました」
「きみ達が無事でよかった。私がどうしてこんな様になったかはわかるかい?」
「ご自身の耐久調査をされるとおっしゃり・・・・」
「なるほど」
間抜けな私がやりかねない間抜けだ。
「記録は?」
「ご自身のタイピンが記録装置になっていると」
「そうかい」
そう言った時点では素面であったと思いたい。まったく記憶していない。
川に入り泥を流す。口のなかを流し、マスクをしていないことに気付く。泥を落として顔をあげたら付近の覆面を全て殺さなくてはならくなるかもしれない。私が懸念する前に覆面は全員散っていた。
「何をしているんだ?」
「音楽を聴いている。Dance Macabre、前の任務から頭を離れない」
幻夜の執務室でタイピンを耳にあて彼の書類仕事を手伝ったり邪魔をしたりしている。
後に調べてわかったことだが、私がたっぷり浸かった汚泥は集落の埋葬地にもされていたらしく(重度の中毒者が多数放り込まれてもいた)全身くまなく汚染された私は絶好のサンプルとして任務後までデータ採取に拘束されていた。
あの集落は今頃本部から研究者が施設ごと派遣され、広大な温室に様変わりしているはずだ。
「そもそも、なぜ沼なんかに飛び込んだんだ」
「さっきの応えと同じだ。私が拘束されていた理由でもある」
「・・・・別にいい。興味もない」
「死の瓶詰めだよ。誰だってムショウに欲しくなる瞬間はあるだろう?」
笑いかけたが幻夜は視線をあわせてもくれなかった。手酷いことに臭うといって私を部屋から追い出した。
『実験』レドヒツ
両手でほっぺたを押さえて、つまみ、横にひっぱる。呆然とした顔が手を振り払おうとした。その前に、とっくに手は放している。
「やわらかい」
レッドはひとを馬鹿にした表情で、嘲るように言う。頬をひっぱられたヒィッツは、痛くもないのにひっぱられた頬をさすってレッドを睨む。
お互いに真っ裸。最前まで抱きしめて、噛みあって、切なく名前を呼んでいた。いまはもう悪戯者の表情に戻り、たれた黒髪の奥でレッドは目を光らせる。
「どれだけひっぱったら頬の肉がちぎれるだろうな」
「悪趣味な提案だな。お前の口はどうすればひん曲がらずにいられるんだ?」
「見当もつかない」
しれっとした表情でレッドが肩を竦める。目の光は変わらず、油断ならない光を灯しているがヒィッツは一々つきあってられぬと先にシャワーへ向かった。
「なぁヒィッツ、一緒に」
入ろうと誘う前に既に浴室に飛び込んでいる。この忍者は言・動を同時にはじめると大抵動作が言葉を追い越してしまう。
「やぁらかいな」
筋肉のついた胸を、上向いた乳首を、横腹を、腹筋を。ヒィッツの背中に張り付きレッドが体を撫で回す。
腰を抱え込み壁に押し付けてヒィッツの動きを封じていたが、先の熱が咲き戻りヒィッツの体はくにゃくにゃになっている。
「やわらかいなど。女とは違うぞ」
「当たり前だろ。お前の体は女とは全然ちげぇよ」
愛撫は執拗。ときに爪をたて、歯をたてる。鬱血と歯型が残り、とうとう二人は床に身を伏せる。
「なぁ」
ぐちゅり。水音をたててレッドの舌がヒィッツの耳に差し込まれる。ヒィッツは首を振ってのがれようとするがレッドの腕が頭を捕らえている。
首。耳。胸。頬。指。踵。
どれかパーツだけになれば俺はその部分に愛着をなくすだろうか。
「お前は俺のもんだ」
「ふ ざけろ」
目が涙を浮かべレッドを見る。強い光で、熱に潤み、まっすぐな線をレッドに向ける。捕食者の目でレッドは「本気だ」と告げる。滑稽なほどマジメに応えすぎて、ヒィッツは馬鹿にされたと感じたらしくもがいた。
腕。足首。腹。性器。どれかパーツだけになっても俺は手放したくないだろう。ヒィッツがばらばらになるのは俺の手でなくてはいけないのだから全部まとめて合わせて揃って自分のもとにあるはず。
レッドは妄想に空想を重ねヒィッツの頬へ噛み付く。何か言おうとしたが、外で怪我をするなだとか、そういう言葉しか浮かばず。
唸っているとヒィッツに唇をふさがれた。
「何を考えている」
「お前のこと以外なにがある」
にやけ面を「憮然」と整えてレッドが応えた。
『黒いトリ』レドヒツ
「お前、たまに飛空挺から飛び降りるだろ。あれ、鳥みたいにみえるんだ」
午後10時過ぎ。自室に乱入し食事を要求するレッドにぶつくさいいながらヒィッツが用意したのは鳥の香草焼きだった。つけあわせのサラダは眼中になく、レッドは肉にかじりつき骨を口の端でぴこぴこ動かす。
「ふへえ。この鳥は飛べない鳥みたいだな」
「その鳥の卵でつくったプリンもあるが食べるか?」
「おう」
勿論。存外にお子さま口のレッドは味の濃いものを好む。同国出身の怒鬼はあっさりしたものを好むが、レッドもいくらか年をとれば味覚もそうかわっていくのだろうか。
小さい生き物をみるような気分になってヒィッツはレッドのグラスにオレンジジュースを注いでやる。
「今日はえらく機嫌がいいじゃねえか」
そんなヒィッツをレッドは怪しむ。常なら乱入した時点で多少の殴りあいが生じ、勝利のはてに食事は要求することになる。なのに今日は文句こそこぼすが、一度も出ていけといわれていない。
「なんか盛りやがったのか?」
「失礼な。盛れば効くなら盛るかもしれんが、忍者に効くのは幽鬼の毒くらいだろう」
レッドの疑念を軽く流しヒィッツはコーヒーを飲む。落ち着いた様子が気に入らない。「ヒィッツのくせに生意気だ」気分がレッドに生じた。
眼光鋭くヒィッツをみつめ、胸ぐらをつかんでテーブルへひっぱりあげる。ヒィッツはコーヒーをなんとかテーブルの端へ滑らし、十傑集の面目を守った。
むちゅう。
鳥の油でてかるレッドの唇がヒィッツの口をふさいでもヒィッツは動じなかった。舌が進入し、蠢くにいたってようやく顔をそむけて逃げようとする。
「いい加減にしないか」
「てめえこそとりすましてんじゃねえぞ」
「食事をしにきたんじゃなかったのか、お前は!」
「お前にあいにきたにきまってんだろうが!」
廊下まで響く勢いで恥ずかしい応酬を交わす。レッドの言葉にたじろぎ、ヒィッツの顔が染まった。
「なにを」
「なにを、じゃねえだろ。抱かせろ」
再度ヒィッツに手を伸ばし、レッドは手をたたかれた。
出ていけ、とはいわない。ヒィッツは表情の読みにくい白眼を尖らせてテーブルに残された食べかけの皿を指さす。
「食事が終わってからにしろ」
先ほどのレッドの低音にも負けない断固とした命令が発せられる。気勢をそがれ、レッドはすとんと椅子に戻った。
「どっか悪いんじゃねえの」
「お前の頭のことか」
「殺すぞ」
「短絡思考めが」
クナイをとばし、弾かれる。レッドはむしゃむしゃと鳥を完食し、サラダまで平らげてようやくプリンに取りかかっている。ヒィッツはコーヒー片手にテーブルにおり、端末から文書を作成している。
つきあいがよすぎるように、レッドは感じている。ヒィッツはレッドが訪れても常に雑誌だの報告書だの自分のしたいことをしている。PCも立ち上げず、端末でちまちまと報告書をかくなどかつてなかった。
「おい」
「なんだ」
「うまい」
「それはよかった」
「お前もくわせろ」
「風呂に入って寝てはどうだ?」
「今日の気分は保父さんか?」
ひらり。手もつかず、レッドがテーブルを飛び越えヒィッツの傍らにたつ。そのまま音無くヒィツをとらえ首を肘ではさみこもうとしたが、ヒィッツはかくりと首をかしげレッドを見上げていた。
「カラス」
「まんますぎるだろ」
ため息のような反応。
やるせない表情でうつむくレッドの頭をヒィッツはぽんぽんとなで、
「疲れているんだろう。帰って寝たらどうだ」
まるで他人事の提案をする。殴りたい衝動にかられたが、頭をなでる手に思い切れず、レッドは再度ヒィッツの唇をふさいだ。
『死』残幽
あなたのせいだと無茶苦茶にナイフを振り回す。黒い刃先は何が塗られているだろう。あなたとは誰だろう。
ナイフは埃臭い空気をかき回すだけで、裂いた空はすぐもとへ戻る。空間は断裂しない。喉を通り抜ける自身の声が悲しい。無様に空を裂くナイフの音が、腕の音が耳に苦しい。
「蹴るよ」
冗談のように遠慮なく私の体を蹴り上げ、男が傍らへ立つ。
「大丈夫かい? 錯乱していたね」
衝撃で息ができず、次には咳しか出てこない。誰かを視界にいれるのが嫌でうつむいて無理やり呼吸を整える。
ハンカチを差し出し男は真面目面でいい足す。
「未使用だ」
なにが。ハンカチのことだ。私の刃には劇薬でも塗ってあっただろうか。
「ありがとう。残月」
錯乱の最後の一粒が眼窩から流れた。ハンカチを受け取る前に、残月が私の顔を拭いて、どういたしましてと小さく会釈した。
日常もデスクワークも仕事も任務でも他人といるのは得意ではない。
カワラザキの爺様は無論、最近はヒィッツや他の十傑といるのは苦痛ではなくなってきたが、基本的にひとりで森のなかにいた方が気楽。
「森」さえうるさく感じるときは半地下の崩れかけた資料棟へ行く。誰も来ないし何もいない。古い資料やくずれかけた書物を開くのも面白い。
時々やってくる「ムショウに一人になりたい」気分で今日も訪れ、忘れられた資料を開くうちに過去にいた自分のようなエージェントの末路をみつけた。
やっとマスクが外れるか否かという程度の、能力者の記録。感応力はあれど幽鬼の範囲には決して及ばず、己の分身を作る力もない。
索敵能力に優れたレーダーのような扱いだった。作戦行動中に崖から転落し死亡。たった数行の記録に足元がぐらついた。
共通点といえば感応力に優れていた一点のみ。それが、幽鬼が体験した・感応力により追体験した・痛みに・幻痛に・無数の死の洪水に幽鬼を叩き落すトリガーになった。
手に何ももたず、宙をひっかく。
毒燐を撒き散らす郡虫を放ちそうになり、そればかりは必死に留まる。
落ち着かないといけないと思う。焦ってさらに自身を追い詰める。
誰かに助けて欲しいと思い、そんなことではいけないと戒める自身に「でも」と重ねる。なにもわからなくなった。
錯乱と残月がいった。確かにその通りだった。
いつの間にかやってきた残月が、幽鬼を荒業で落ち着かせ傾いた書架から資料を引き抜いている。
「何時来たんだ」
「苦しいと君が漏らしたあたりから」
「そんなことをいっていたか」
「「あなたのせいだ」というのは私のことだろうか?」
「違う」
「残念」
振り向くとついぞ他所でみたことのない博士帽の「すだれ」が揺れた。残月が懐から煙管をとりだし、
「いいかい?」
断りをいれる。
頷けば流れる動作で煙管に葉をつめ火をつける。
「君の特別な「あなた」に嫉妬するね」
ぷかり。一つ丸い環をはいて未練なく残月は立ち去っていく。
妙に涼しくなった資料庫で背中を壁にひっつけ座りこんだまま、幽鬼はもしや猛毒を知らず分泌していないかと真剣に自身を調べ、ついで残月はどこか悪かったのではないかと心配になった。
『HIV』レドヒツ
珍しいものを見た。
用事がなければ部屋から一歩も出たくない湿度100%の大雨のなか。
レッドはやむにやまれぬ用事で外出し、菓子屋の軒先でビニール傘をさすヒィッツを目撃した。
「なにしてんだ、あいつ」
珍しいというか、透明なビニール傘などというチープな代物をヒィッツが持っていること自体ありえない。
ときに腹が立つほど見た目を気にするあいつは、それこそ気に入りの傘を1ダース近く所持している(買い足していなければ半ダース。先日レッドが強度確認実験をした)。
「おい」
声をかけ、傘と外出の理由と冴えない、そう、透明傘ごしにはっきりと見える奴のさえない表情の理由をからかい半分聞き出そうとレッドは水を跳ねずに歩く。
ヒィッツはレッドに気付いたはずだった。冴えない表情で、横っ風に吹かれた雨をうけ、髪もへちょりと形を崩し。
伊達男ぶりを台無しにして奴は晴れ間を望むのか空に向けていた視線を一度街路に向け、店の方へ振り返る。
からん。がらがらん。
湿気たベルが響く。店から出てきた幽鬼は両手にタオルを持っていて、タオルをヒィッツに手渡し自身は大振りな蝙蝠傘を開く。ビニール傘を畳んで店の傘立てにさし、ヒィッツはタオルでジャケットを吹きながら幽鬼の傘に入っていった。
大振りといえど大人の男が二人入るには小さく、二人は肩をひっつけて通りの向こうへ歩き去っていく。
レッドは身動きを忘れてじっと二人を凝視し、珍しいものといえばこの上なく珍しい光景をしっかと脳裏に焼き付けて。
暴れたい衝動をそうと理解するより前に菓子屋へそっと侵入し、そっと内部を破壊した。
へっくし。
くしゃみを立て続けに二回して、レッドはぐぅるると喉をならす。まるで獣。指揮官の不調と不機嫌を指摘する人間は生憎任務の場に居らず、レッドとその部下達はさして重要とも思えぬ拠点の奪還に疾走する。
へくし。へくし。
くしゃみは銃声・爆音に消え、時折断末魔に塗りつぶされる。なのにその任務の間、覆面たちの耳にはレッドのくしゃみがこびりつき、撤退命令を聞き逃す者がでるほどの影響を示した。
「なにをしているんだ」
レッドの部隊には珍しく、死者と負傷者が同数に並んだ。任務自体は成功したものの散々な成績だと、これみよがしに愚痴る孔明の声が消える前にヒィッツはレッドの執務室へ向かった。
机にはホワイトノイズをうつすディスプレイにぶちまけられたゼリービーンズ。ゴミ箱からはみだす焼き菓子の包装に、丸めたティッシュペーパー。
「大丈夫か?」
頭は。体は。調子は? 思いつく限りの主語を言葉にせずに並べ立てヒィッツは椅子で丸くなるレッドの額に手を伸ばす。抵抗なく額に触れた手は熱い。見上げてくる目は鋭いが、充血し潤み、殺意はない。
「なんでもねえよ」
声はいつも通り。払おうというのか、ヒィッツの手を掴む掌も相当に熱かった。
「医務室に行くぞ」
「一人でいく」
「行くならいいが、連れて行かなければお前は行かないだろう」
「知ったふうなことを」
「少しは知っているつもりなんでね」
熱い掌が万力のようにヒィッツの腕を掴んだ。ヒィッツの骨が軋む。折れるどころか粉砕される。
「大雨のなか傘も持たずに歩くからだ」
その様子に動揺を抑え込み、ヒィッツはレッドの頭をなでた。
「夕方ずぶ濡れで戻ってくる姿をみたぞ」
チカチカ。レッドの視界が明滅する。傘なら持ってでた。さして帰った記憶はないが。街でヒィッツを見た。その後の記憶も随分と希薄だが。
「お前は街でなにしてたんだ?」
「・・・?HIVの予防キャンペーンだ。誘っただろう」
「あ?」
「菓子屋主催のイベントに行かないかと。お前は用事があると一笑して・・・・。なんだ、もしかして街で私をみたのか?」
「だせえビニール傘」
レッドの熱に浮かされた目にヒィッツの朱がさした顔が映る。
「医務室に」
数秒みつめあい、レッドは表情に喜色を、ヒィッツは敗色を濃くしていく。
レッドを掴み上げヒィッツはずんずん廊下を歩きだした。途中レッドがヒィッツの腕をすりぬけ、逆にヒィッツをひきずるようにして歩きだす。
「菓子屋のイベントに参加してきたのか?すばらしき?」
「お前に壊された傘を修理にだすついでだ」
「あの量抱えていったのか」
「幽鬼が手伝ってくれてな!」
噛み付くようにヒィッツがいえば、実際レッドがヒィッツに噛み付く。覆面姿も散見する廊下で明らかに風邪ッ引きのレッドがヒッィツの唇を塞ぎ、獰猛な目で周囲を睨む。
廊下から一目散に人が逃げ出していく。
「なんなんだ、今日のお前は」
「なんでもねえよ」
ヒィッツの口の端に噛み跡を残し、レッドは廊下の真ん中を歩く。気分よく医務室を通り過ぎたレッドを、ヒィッツは首根っこをつかんで引きずり戻した。
『白いリボン』ヒツ女体化
リボンでつくった花をいくつもいくつも束ねていく。赤も青も黄色も黒も、リボンは秩序なく選ばれ色彩の渦をそこかしこにつくりあげる。
裁縫店から直接運び込んだ棚とセルバンテスが送りつけてきた空を飛びそうな絨毯。さきほどイワンが差し入れた紅茶と菓子と、調度品のような不機嫌な面のレッド。
白いレースの耳飾をつけたどうみても女性の、どうしたところで十傑集の、素晴らしきヒィッツカラルドが絨毯にすわり花を編む。
レッドでなくとも度々こめかみをもみ、わが目を疑う現状。
発端はセルバンテスだ。先の任務で大層な媚薬を手に入れたといいレッドに笑顔で売りつけた。東洋趣味のガラス器に入ったそれは陽に透かすと七色に輝く。
それはそれは美しく、通りかかったサニーがため息をつくほど。
「どうしたんだ?お嬢さんが気にしている」
通りかかり、サニーの横に立ち止まったのはヒィッツカラルド。何かにつけてサニーに甘い十傑のなかでもとりわけ甘い大人の一人である。
「俺がセルバンテスから買ったんだ」
「香水ではないな・・・。お嬢さん、レッドが買うようなものだ。近付かないほうがいい」
「まぁ。何が入っていますの?」
余計興味をそそられたか、上目遣いでちっとも甘くない大人を見上げる。レッドはサニーを見返し、にやっと邪悪に笑む。そのまま媚薬と教えようとしてセルバンテスにつきとばされた。
「お嬢さんにはこれを。綺麗だろう?」
レッドは空中で体勢を整え、セルバンテスにクナイの一つも投げると思ったが遠くに降り立ち流れを眺める。セルバンテスがサニーに差しだしたのは白いリボンのイヤリングだった。
さきほどセルバンテスが「媚薬」とセットでレッドに売り払おうとしたもの。
サニーは嬉々として受け取り、掌で眺めて楽しむ。
「ありがとうございます、セルバンテスおじさま」
天使の、と。ヒィッツが形容する笑顔で礼をいい、ヒィッツの天使は初めてレッドに驚愕の表情をさせた。
「ヒィッツおじさまの目の色とおそろい」
うっとりと囁き、サニーは背伸びをしてヒィッツの耳に受け取ったイヤリングをつけたのだ。
「?」
身についた習性でサニーのやりやすいよう腰をかがめ、ヒィッツは不思議な顔をしている。多分何がどうなっているのか本人はわかっていない。
サニーもヒィッツの耳たぶにイヤリングを装着させることに構っていて他の、ヒィッツの全体像がゆるやかに変化していることに気付かなかった。
「おやおや、これは」
セルバンテスの表情が笑っている。目まで輝かせニタニタ擬音を発している。レッドは隙をみてサニーから掻っ攫おうとしていた物が目標につけられ、狙い通りの効果を目標にあげていく一連を、悪い夢でもみるようにみていた。
「服がぶかぶかだねえ」
「なに?」
先よりずっとセルバンテスの頭の位置が高くなったことにヒィッツは気付いたのか。レッドが剛速球さながらに飛び出し、ヒィッツに当身をくらわせる。そのまま肩にかつぐと、ぶかぶかになっていた靴が床に落ちた。
「まぁ」
サニーの驚いた声が背後に残った。まっすぐにレッドは走って、勝手知ったるヒィッツの私室に飛び込んで頭を抱えた。
世に言う女体化。
ヒィッツのまるっこくなった体に、縮んだ身長、若干伸びた気さえする髪の毛。
ぷっくらとふくらんだ唇は半開きで息をしていて、明らかにほそくなった腕がゆるゆると当身をくらわせた体へ伸びる。
「痛い」
声も違う。目は前のまま、表情の読みにくい白に当惑の色をのせて責める視線をレッドに向ける。
「いきなり何をするんだ」
「・・・・・・・・・・・・」
「なんとか言え」
「・・・・・・・・・・・」
レッドはヒィッツをみつめるばかりで言葉はない。不気味に感じたのか不安を覚えたのか、ヒィッツは身動ぎし体の異変に気付いた。
「は?あ?」
「あんま鳴くな。犯すぞ」
胸に股間に全体に。ヒィッツは変化に真っ青になりながら指を弾く。なによりもまず第一に、確認せねばならないとパチン、パチンと両手で鳴らす。
「よかった」
「なにがだ!!」
罵声ならぬ悲鳴。レッドは瞬間で崩壊する部屋を命からがらとびまわり、いくらかの裂傷を負った。自身でなければ腕の一本は持っていかれたに違いない。
レッドは崩壊の中心で安堵をうかべるヒィッツに遠くから吠えた。
建物中に緊急アラームが響き敵の急襲を受けたような騒ぎになっていく。舌打ち一つ。レッドは再度ヒィッツに当身をくらわそうとして、避けられた。
「ふふん、何度もくらうと思うなよ」
勝ち誇るヒィッツの首筋にレッドの手刀が決まる。
「他のやつらに見せられるか」
シーツらしき布を探しあて、ヒィッツを包む。もう大分様子を見に来た人間が集まっているが、下級エージェントはレッドが散らした。
ヒィッツ付きのエージェントは上司を探して右往左往し、レッドを敵視するものまでいたがゆったり来たセルバンテスに騙られどこぞへ去っていく。
「結果的にきみからお代はもらえるのかな?」
「サニーに払わせろ」
「お嬢さんには驚いたよねえ」
幽鬼と残月が近付く。セルバンテスは人の悪い笑みを限界まで濃厚にうかべ、「ついでにもう一つ」今度はリボンのついた玩具の指輪を取り出した。
「はめてる間は無垢になる」
「いらん」
「サービスだよ」
言って、一瞬。セルバンテスはヒィッツの手を探り指に指輪をすべりこませ、レッドのクナイがセルバンテスの耳元を掠める。
「怒鬼まできたようだ」
禍々しい視線を残し、レッドはヒィッツを抱えて走っていく。遅れてきた三人もヒィッツの私室の惨状にすぐにレッドを追おうとするが、のらりくらり立ちふさがるセルバンテスに時間をとられた。
腕のなかのヒィッツがもぞもぞと動く。そうかと思えば跳ね馬のように跳ねて、指を鳴らした。宙で自身を包んでいたシーツと、おそらくはレッドを狙った破断。
シーツは包帯のように細く避け、レッドは辛くも裂けきってヒィッツが床へ落ち着く前に組み付いて両手を塞いだ。
「邪魔」
猛ったレッドのようにヒィッツは妨害を言葉で切り捨て布を一枚ひっつかむ。なにをするかと思えば、楽しそうに布で環をつくり端で中心をとり、手の内で花を作り上げる。
完成すれば用がないのか、つくった花は床に落ち、拾った次の布でまた花を。
座り込んで作業に没頭してしまったヒィッツにレッドは掛ける言葉もない。追いついてきた幽鬼と残月が状況説明を求めるなか、怒鬼が一度消え、どこからか(おそらく街の裁縫店から)リボンの棚を一つ、丸ごと空き部屋に運び入れた。
「・・・・・・・いつものお前が一番イイ」
呪いが如きこの症状は一昼夜で治まるはずだと孔明とセルバンテスの怪しげなお墨付きを貰い、ヒィッツは放置されている。
戒厳令が敷かれているが、ある程度話が広まるのは避けられず様子をみにくる人間は牢番変わりのレッドに剣呑に追い払われている。
媚薬はヒィッツが戻ってから使うことに決め、レッドは当初の期待と随分違う痴れたヒィッツの様子を見る。
「んぁ」
欠伸のほかは言葉を殺し、ごろり背を向け横になり。隙をみたつもりか、部屋へ忍び寄ったエージェントが忍者の罠にかかる悲鳴を聞いた。
『白いリボン2』レドヒツ
手首の包帯をむしりとって、悔しそうにベッドを殴るものだからおかしくて笑ってしまった。
「なんだよ」
険の強い顔がじろりと睨んでくる。
「別に。ただ、死ぬのかと思ったから」
橙色の間接照明が燈る病室はずいぶんと広くて、レッドが一人ベッドに寝ているのが不思議に思えた。もう明け方近い時間だ。
廊下は静まり返り、もともと滅多に響かないわずかな足音も聞こえない。
半日前にヒィッツカラルドはレッドが倒されたと報告を受け、この病室まで駆けつけた。たった半日。
傍らの椅子で過ごし、無闇に広い部屋でやたら静かな廊下の物音を聞き、もしかしてこの病院自体他に入院患者はいないのではないかと妙な妄想を遊ばせた。
「寝首を掻きにきたのか」
「死に顔を見ようとは思ったが。そうだな、私が止めをさすこともできたか」
「もうそんな隙ねえぞ」
「残念だ」
手首以外にもレッドは包帯まみれだ。包帯がないところは大きな絆創膏がはられている。そのいちいちをレッドはひきはがし、ちぎり、投げ捨てる。露になる肌は薄く傷跡が残る程度で、ほとんど治っていた。
常識外れの回復力。感心しようにも馬鹿げすぎていて、拍手する気にならない。
「どれだけ寝てた?」
「丸一日か?私が報告を受けたときは半日過ぎていたようだから」
「まさかずっと付いていやがったのか?暇人がっ」
「いや?任務の途中で負傷退場した馬鹿者が報復戦に飛び出すのはわかりきっているからな。ワザワザ敵を殲滅せずにホドホドに状況を残しておいたぞ?」
どこかの馬鹿者は自分の失態を棚に上げて任務の代行者を恨むだろうから。お子様思考は読み易すぎて疲れる。
心臓を焼ききりそうな怒りの視線をヒィッツに注ぎ、レッドは手早く服を身に着ける。
「その馬鹿野郎を見たら、一発俺が殴っておいてやるよ」
「そうしてくれ。くれぐれも死なせてくれるなよ?私は今から中東で任務なんだ」
駆けつけられない場所で病床につくなと言い置いてヒィッツがこきりと首を鳴らす。伊達男の珍しい仕草にレッドがわずかに眉をあげた。
「半日といったな?一日の半分か?」
「一日は24時間で、その半分は12時間だ。それくらいは理解できていたと思ったが?」
鼻にこぶしを叩き込みたい衝動を抑え、レッドがふいに姿をけす。ヒィツは包帯その他で散らかった病室を見渡し、ため息ひとつ飛散物を集めてゴミ箱へ運んだ。
ベッドについた手へ体温が伝わる。どうせリネンはクリーニングに出されるとわかっていながら、ベッドメイキングまで済ませ、自身が使ったパイプ椅子を片付けた。
廊下に出るとひやりと冷たい。室内とは違った空気の香りが鼻先を通り過ぎる。
「まるでこどもだな」
むくりと起き上がって真っ先に包帯を取った姿は、気に入らぬリボンを外す学童のようだったと。ヒィッツはひとつ笑いエレベーターまで歩いた。表情筋まで強張っていたらしく、全体的に体がごわごわとした。


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