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溶け残ってしまった(レドヒツ)

瞳に赤が映る。鏡に手のひらを押し当てて粉砕してしまう。
手のひらを自身の顔にあてて、なにもできず暖かさだけ感じる。
「馬鹿だ」馬鹿だ、馬鹿だ。意味をなくした言葉を重ね、唇が擦れて手のひらを湿らせていく。
目の前に赤いものなど何もない。焼きついてしまった。焦げ付いてしまった。
ああ、違うな。ヒッツカラルドは手のひらを顔から離し、指先を目に押し当てて潰すことも、目蓋を閉じることもせず脳裏にちらつく赤を見る。
「溶け残りだ」赤色に覆いつくされた瞬間から、憎らしい男の影が離れない。
殺してやると唇を動かす。遮るもののない唇はやけにスムーズに動き、物足りない。
手のひらを体の横に垂らす。指を鳴らす。小さく破砕音がする。ドミノのように連続して大きな音になっていく。
「殺してやる」口に出す。口角があがり、笑みが浮かぶ。自身の中から消し去りたいはずの赤色を求め、ヒィッツカラルドの体温が上昇していった。

迷い犬(レドヒツ)

最後に飲んだのはグラスに半分のシェリー酒。薄桃色の液体は駆け足で喉を通り過ぎていった。
最後に食べたのはチョコレート。アルファベットが刻印された安物を一つ細い指にねじ込まれた。
曇天の隘路を走っている。皹のはいったダクトから漏れた汚水が靴を汚す。
頭上でガラスが割れる。大きな欠片が後方に落ちる。無数の飴が降ってくる。
最後にかけられた言葉は「じゃあ」。前後にいくらでも言葉は足せる。なのに足さず、減らさず、ただそれだけ。
「おいヒーーーーーーッツ」
隘路を抜ける。広い通りにでる。夏服の男女が行き交う、休日の駅前。息を切らして飛び出してきた私にバイクがクラクションを鳴らす。警官が視線を向けている。
「遅かったな!」
タクシーに凭れ、スーツ姿の東洋人が陽気に手を振っている。目に赤いマスク。派手なサングラスと思われているのか、目立っている様子はない。
息を整え、車が途切れるのを待って道路を渡る。靴もスーツも泥と埃と汚水の飛まつを浴びている。道路を渡りながら、ヒィッツカラルドは乱れた髪を手櫛で整え、ハンカチでそっと頬を拭う。東洋人が自身の首元を指差し、投げキスを飛ばしてくる。ヒィッツカラルドの白眼には男の目に映る自身が逆に映りこんだりはしない。
東洋人の後ろで、駅が割れた。
続いて、男が凭れるタクシーが割れる。飛びのいて、男は大げさに驚いたとジェスチャーをしてみせる。
駅がまた割れた。砕けた。破片が、さきほどのガラスよりも大きく、飴玉のようにカラフルな破片が一帯に降り注ぐ。
「じゃあな」薄い唇の端を持ち上げてヒィッツカラルドは優しげにマスクザレッドにささやいた。

メキシコの安ホテルにヒィッツとレッドが滞在した理由はいつもの通り任務で、当然のように同室で、お決まりのようにレッドはヒィッツを組み敷いていた。違ったのはその後で、抵抗はするもののなぁなぁで結局は情事を交わす最中にレッドの携帯が鳴り、続いてヒィッツの携帯が泣き喚き、任務の中止が告げられた。
次の任務まで4日間。部隊は帰るものの、十傑集の二人はそのままメキシコにいても良し、次の任務地へ向かうもよろし。ヒィッツはレッドに耳元に押し付けられた携帯から報告を聞く。本部に居残りの部下は簡潔な伝達を心がけるも、漏れ聞こえる喘ぎ声にいたたまれず最後は逃げるように報告を切った。レッドのほうは携帯を投げ捨てて終わりだ。そうか、ここでも窓が割れた。ヒィッツは回想のなかで窓を突き破り路面に落ちた携帯電話の音を聞く。
「じゃあな」ここでレッドはそういった。情事が終わり、動けないヒィッツの口にチョコレートをねじ込んで明るい色の髪をやさしく撫でながらそういった。それからレッドは姿を消し、ヒィッツの荷物も一切合財姿をなくし、ご丁寧にも多少の記憶混乱まで置き土産にされ、残されたヒィッツはまず指を弾き自分を思い出すことからはじめていった。

それから4日。よく見ればBF団十傑集が一人、素晴らしきヒィッツカラルドの衣装は常より数段質が劣る。急場しのぎの間に合わせ。どうにか次の任務地、レッドが待ち構えているだろう場所を思い出し、タイミングがよすぎる敵対組織の嫌がらせを一身に受けながらどうにかこうにか辿り着き。
涼やかな表情で今や阿鼻叫喚の巷となった某国首都の駅前で指を鳴らしていた。
「遅かったじゃねえか。迷ったのか?」ひらり、ひらり、ひらり。憎らしいほど身軽に華麗にレッドは真空波を避け、破片をヒィッツに蹴り飛ばしあれからどうしたと問いかける。「マッパでスーツ買いに出たのか?首のマークは俺がつけたやつだよな?他の男につけさせてやったなんて、たった4日の間にあるわけないよな?お前ならありか?」野卑た笑いを浮かべレッドが楽しげに問いかける。上空から戦闘機が近づき、サイレンを爆音で蹴散らす。ヒィッツはレッドの予想回避地点へヘリを落とし、避けられ、爆炎にあおられて白い面を朱に染める。今日の朝日が昇ってから一貫して張り付けた偽者の笑顔を一際綺麗にほころばせ、
「他の男のものさ。服の代を求められたから呉れてやった」レッドの耳元でささやく。レッドは無造作にヒィッツの服を引きちぎりまだ新しい痣に表情をなくす。言葉をなくす。風も炎も悲鳴も銃声もヘリや戦車が近づく轟音も気おされたように黙り込む。無論そんなことはレッドの意識のなかだけの話。しかしほんの数分で、現実実際周囲のほうがレッドにあわせて音を消した。
手品のように、映画のような、廃墟。某国首都の駅前をひらりと様変わりさせて、レッドは迷い犬のように揺れる黒瞳をヒィッツに向ける。

起きたくない(幽ヒツ)

シーツには皺ひとつないから、枕をつかんで皺をつくる。上かけを引き寄せてぐしゃぐしゃと巻きつける。
皺だらけの空間を作って、線と線の間をながめる。蟲ならどこまでも、深く深くはいっていける。人のみでは指先一つ隠れない。
コーヒーが香る。キッチンから朝食と恋しい人の香りが流れてくる。鼻歌。相当に機嫌がいい様子。嬉しく感じるのにこころは漣が一つたっただけ。
どうしてすぐ起き上がり、恋人の隣にいかないのか。どうして満開のしあわせにのぼせてこの場で息がとまらないのか。
己の状態がすべて信じ難い。勿体無い。
「うぅ」うなされたように呻いて、着地点のないフリーホールに入り込む錯覚。体がびくりと震える。
「幽鬼?起きたのか?」明るいオレンジ色の髪が白いガウンの上でふわふわと揺れる。
「酷い顔色だ」スリッパの音一つなく傍らにきたヒィッツカラルドが幽鬼の頬に触れる。額に手を置き、目をじっと合わせる。
衝動的に、としかいえない。
幽鬼は僅か体を起こし、さっと手で相手の頬を支え、唇を合わせた。ほっと息をつく。頬が熱くなる。やっと夢から抜け出るような、泥の中でもがく労力と生気が幽鬼の体を渦巻く。唇の間で互いの息が行き来し、次第にヒィッツカラルドの頬も赤くなっていく。
「・・・おはよう」「おはよう」ゆっくりと唇は離れ、幽鬼の手は頬から腕へ落ちる。そっと手を添えるだけ。
「朝食を食べないか」「もう少し」「ああ!」もう少し側にいてほしい。強請るように幽鬼が言い切る前に、珍しく動揺もあらわにヒィッツの手が幽鬼の腕をつかむ。骨を包み込むように大きな手で捕まえて、わかっているさという風に頷く。
「もう少し、な」「ああ。もう少し」捕まえられた態の幽鬼がベッドの上で身を引く。ヒィッツカラルドはゆるゆると開けられたスペースに身を沈め幽鬼の胸に顔をうずめてしまった。「みないでくれ。どうしてだか、とんでもなく恥ずかしい」蚊の鳴くほどの声で言う。幽鬼はうんと小さく頷いた。

散歩道(レドヒツ)

はらはらと落ち葉が通り過ぎる。足下にたまったそれらは行く自転車や風に舞い上げられてざらざらと足を掠める。「さびぃ」レッドが胸に焼き芋屋の袋を抱え、背中を丸めて歩く。
「寒いな」ヒィッツはレッドの片手を自身のコートのポケットへ仕舞い、歩調を合わせて歩いている。平日の昼下がり、並木小路には犬を散歩させる婦人やベンチで文庫を開く老年。一本横の道路を高速で通り過ぎる車に一瞥もやらず、散歩者にだけ小さく会釈を寄越す。
「おまえの手つめてぇよ」「それは残念だったな」「俺の手で暖とってんのか?」「暖がとれるほどは、お前の手も暖かくないよ」レッドが落ち葉を踏んだ。あげた靴底からぱらぱらとかけらが落ちる。「落ち葉は鳥が落とすのだな」風に前髪が撫でられる。ヒィッツは頭上を見上げ、飛び立つ鳥の影をみた。広げた手のひらほどの大きさ。2羽、3羽。声はなく、葉をただ落としていく。
「風だろ」レッドがヒィッツを見る。鳥の影を追う視界を覆いたくなる。
「なぁ、ヒィッツ」ヒィッツのポケットにいれられた手を少し引く。ヒィッツは自身の手を布に寄せてレッドが抜きよいようにしたが、レッドの手は外へでていかなかった。
「なんだ?」「なんでもない」焼き芋の袋を宙に放った。前を向いたままレッドが車道へ黒いボールを投げつける。ヒィッツは外に出ていた手で、指を二回鳴らした。ぼん。ぽん。ぼん。
車道で爆発が起こる。黒煙が流れてきて、ヒィッツが不愉快に眉をひそめた。
「今度俺が走るトコみとけよ。鳥が落ち葉散らすんじゃねぇって納得させてやる」「楽しみだ」焼き芋の袋を危なげなく受け止め、レッドが袋をヒィッツに押し付けた。ヒィッツが膝をまげる。
「ふん」ヒィッツの顔とレッドの顔が重なる。唇を押し付けて、レッドが再度鼻を鳴らす。
「なんなんだ」「芋の匂いでお前の味がわからん」「ご愁傷だな」ポケットのなかでレッドがヒィッツと指を絡める。握り返してヒィッツはひとつ咳払いをした。

MIDDAY(残→レドヒツ)

廊下に本が落ちて、ページがぐにゃり折れ曲がりへしゃげる。
背表紙の金箔文字、補修を重ねた革装丁。本を落とした覆面はさっと拾い上げ埃を払い、ページを整えながら廊下を急ぐ。
足と肩が震えていたのは大目に見てやらねばなるまい。あれは十傑集が一人、素晴らしきヒィッツカラルドの本だから。
「素晴らしきの執務室へ行くんだろう? なに、私も丁度用があってね。用というのも、その本を借り受けたいということなんだ」
きみと私の時間の節約に、それを私が持っていこう。3度はシミュレーションした台詞を残月がすらすらと本を落とした覆面へ浴びせかける。
言われながら、すでに本が残月の右手に納まっていることに驚く。
「いいかな?」おかしな帽子の下の、黒いマスクの下で残月が優しげに笑いかけた。覆面は、自分が首肯していることにも気づかない。
呆然と、どこか恥ずかしい気持ちになって、本を片手に歩き去る白昼の残月を見送った。

「ヒィッツ、いいかな」執務室のインターフォンを押す。ドアが開く。人が飛び出してくる。
「このやろっ」背中から飛び出し、壁をけってUターン。どこの猿だというまでもなく、非常に残念なことながら、BF団が十傑集のマスクザレッドと即座に知れる。
開けっ放しのドアから内部をのぞく。最近孔明の執務室のように、着々と要塞化が進むヒィッツカラルドの執務室の真ん中でレッドがヒィッツを押さえ込み熱烈にキスをしている。ヒィッツはこめかみに青筋を浮かべ抵抗。しているが、いつまで持つか怪しい。
「お邪魔するよ」なので、残月は手に持つ本の背表紙をもって、レッドの後頭部を殴った。殺気とクナイが同時にかえる。
クナイを避け、本をヒィッツへ投げ、レッドと数多の手を交わし、
「邪魔とわかってんなら入ってくるな」「私の声は認識しているわけだ。見られながら口づけするのが趣味なのか?」「てめぇはでばがめが趣味なんじゃねえの」「恋敵の邪魔は確かに趣味と合致する」
残月はヒィッツへ本を開くようそぶりをみせる。呆然と、憮然と、少しばかり頬を染めたヒィッツカラルドは素直に随分痛んだ己の本を開き一枚の紙片に気づいた。
「断る」苦笑と愉快が混じった声。
「残念だ」「何の話だ!?」「なんでもないよ」レッドから距離をとる。部屋を出る。ついでにレッドも廊下へ転がそうとしたが、失敗する。
「また誘わせてくれ」部屋の中のヒィッツへ残月が手を振る。軽くあげた手をレッドへ引き寄せられ、ドアから見えぬ部屋陰でヒィッツが怒声あげる。

さきこぼれるは(レドヒツ)100927

下肢にこぼれる赤黒い塊を不快に見下ろす。
「経血みてえ」衣服が破れ、晒される白い肌にぼたぼたと綿埃のような、重量感のない血の凝り。
レッドは自身の腹から零れる血を浴び、呆然と見上げてくるヒィッツカラルドに笑いかける。
「お前もなんかぞっとするもん思い出してんのか?」ひたひたとヒィッツの頬をレッドの手が触れる。
戦場の一角。絶えもせず銃声が響き、爆発が悲鳴が有機体が変質する異臭が質量を持った悪意のようにどう、どうと吹き寄せてくる。
「庇ったのか?」横から飛び出してきて自身を押し倒し、飛来した鉄屑を受けた男へ恐る恐る焦点を合わせる。
ヒィッツカラルドの目に脂汗を滲ませ笑みを浮かべ、血を垂らし血を流すレッドが映る。
「最悪だろ?」レッドの笑みが深くなった。どっと血が流れる。レッドが腹にささる鉄屑を抜いた。
「最悪だ」互いの間に血をさかせ、庇った男と庇われた男が酷薄な笑みを交わす。庇われた男のほうがぐにゃりと表情をゆがめていた。
レッドがふらっと揺れた。烏のように戦場へとびたつ。ヒィッツは服の埃を払い立ち上がる。スーツに裂いた赤色と黒色の血花を見下ろし指を弾く。リズムをとりながらどう、どうと吹き寄せる風へ白い眼を据える。
「最悪だ」地平線まで続く戦火へヒィッツカラルドが進みはじめる。一歩ずつ、有無を言わさず、直進を続け。軽やかに舞う生き物を片っ端から撃墜していた。

並行的な今日模様(セルとヒツ)

頭から白い布を被って、刻々と形をかえる砂丘に男が立っている。
ヨーロッパで黒煙のなかにいたときに、あんまり派手だったから何事かと思って、と人を食った表情をして空から降って来た大富豪だ。
ヨーロッパを飛んでいた彼の自家用機は、私を拾ってアラブに向かった。
今度は飛び降りはせず、二人してそろりと地上におりて、どういうわけだか砂丘にいた。
男は立っているが、私は倒れている。
スーツに砂が入る。流れる砂に足がとられるのだ。飛行機にさらわれてからずっと、痛めつけられて足腰が立たない。
男のように、私も頭から白い布を被っている。悪趣味にもレースがついていて、ヴェールのように見える。
「人は風化していくのに」
砂に流される。男から離れて、砂に埋まっていく。
男は私を片手で抱き上げて、首筋に歯を立てた。肉が裂かれる。血が落ちる。
「死んだ人間が忘れられないのはなぜだろうね」
「知らんよ」
あんたの相棒はまだ生きているだろう。言い終える前に投げ捨てられて言葉は喉の奥で死んだ。
「乱暴を働いて悪いね。きみが死ねばよかったのにと思えて仕方ないんだ」
喉を踏みにじられる。誰のかわりに殺されるのだろうか。
知ったところでどしようもないが、知らずに殺されるのも業腹で、昨夜早々に捻りつぶされた両手の指を足に押し付ける。
ぱちり。ぱちりと。指を一つ二つ鳴らせればこの状況もどうにかなるのだろうに。
ぱちりと、一つ。耳の横で指が鳴った。
途端に強風にさらされる。目を開く。目の前に指があった。五体満足に無事で、砂漠にもいない。
「寝相が悪いね」
飛行機のシートに眠っていた。天井が一部ない。さきほど、切り落としたらしい。
カップ片手に得体のしれない笑みを浮かべる大富豪を確認し、私はシートベルトを外して今しがた青天井になった飛行機から飛び降りた。
嫌な汗が後から後から染み出してくる。下半身も無事に動く。重力に胸を押し潰されながら、安堵の息を吐いた。

ひ(幽鬼)

部屋の明かりをつけようと、探った壁にスイッチはなく。手のひらを押し当てるようにして暗がりを探せば、
ぼぅっと燐光があらわれる。
ぱちりと部屋明かりはついて、燐光は消える。
本を返しに来たのだと、白色灯のなかでもまだ、ぼんやりと光る男がいう。
部屋に入るところがみえたのだが、声をかけそびれて。
ただ彼を見返していた。見惚れていたのだが、彼は別な意味で解釈した。
「ごめん」
羽音も立てずに逃げようとする虫を、光を。指を伸ばして捕まえた。
「すまん見惚れていた。あんまり綺麗に光るから」
「光・・・?」
「ああ。さっきの燐光とは違って。なんといったらいいのだろうな、ぼぅっと後光ほど強い光ではないのだが」
彼は目を細くして私を見返し、黙った。ゆっくり、わかり難く笑みが広がっていく。
「ヒィッツもだ」
光っている、と彼が言う。
「そんな力は私にはない」
広がりきった笑みを見つめるうちに、何も考えることなどないという気がした。
酒に誘い、明かりをけして、ねだってさっきの燐光につかる。
幽鬼の目も、その目の中の私も、ときに互いの光りをうつしていた。
震える息に音はなくとも(レドヒツ←幽鬼)
ヒィッツカラルドはとても綺麗にさようならという。
幽鬼は虫が伝えてくる彼の戦闘の様子を聞きながら、部隊を指揮している。
ヒィッツカラルドがいるのは、随分と遠いところだ。今回の幽鬼の任務とは少し関わりのある遠く。
その少しを口実にして、幽鬼は脳裏にヒィッツカラルドの姿を思い浮かべる。
冗談にしか思えない、白いスーツを着て。輝くばかりの髪の毛はぴったりと整えられ。
磨かれた革靴がステップを踏み、薄い唇が皮肉気に笑う。
両手の指がパチリパチリと音を鳴らす。
場所は街中。建物は倒れ、炎が上がって。
今日は雲もなく星が見えるが、煙で空など見えないだろうか。
汚れず、汚さず、ただ切断の刃を振りまき混乱を招いて、何に悪びれることもしない。
彼は、たださよならを言って回っているのだと、幽鬼は思う。
彼が通り過ぎる前と後で、一変する営みに彼は皮肉に笑ってさよならをいうのだ。
決して本人にはいわないが、幽鬼自身もヒィッツカラルドとの遭遇前後で変わってしまったものの一つだと思っている。
さようならと彼からいわれたことはない。けれど同じものではいられなかった。
自身の任務地でも黒煙があがった。時代錯誤な有害ガスを振りまいて、BF団にとって少しばかり都合の悪い足跡が消されていく。
さようなら、と幽鬼は唇をうごかした。音は出さず、幽鬼の使う虫が唇の動きを追って仲間内に何のコマンドかと伝達する。
胸の悪くなるガスを吸って、赤い影を思い出した。顔を歪めて撤退の指示を出す。
レッド単体ならどうでもいいのに、ヒィッツカラルドと一緒に脳裏に浮かぶと獰猛な気分に支配されそうになる。

今日の日はおやすみ(レドヒツ)

どうしたということもない。
旅先の安っぽいバスタブに湯をはっている間に強襲された。
見下ろす水にわずか、血が溶けて、見ている合間に薄れていく。
だらだらと排水溝へ血をこぼす死体を蹴って端に寄せて、風呂を使おうと思ったけれど、他人の血液のなかに沈むのだと、思ってしまって。
ゆらゆら拡散していく血は、以前にも見たもので。
あいつ以外の血の中に己を漬けてたまるものかと、湯船を蹴倒し鼻を鳴らしていた。
BF団が十傑集レッドがぎりりと奥歯を鳴らす。
どうしたということもない。
いつも通り、ヒィッツカラルドが側にいないことに理不尽を感じている。

すっきりしない気分のまま任務を片付け、足早に帰途に着く。
破壊も殺しも最小限。殺してなさ過ぎてお咎めを食らう程度に仕事をこなし、帰還するとヒィッツカラルドは任務で出ていた。
レッドの部下はいつ八つ当たりをされるかと戦々恐々していたが、次の任務まで部隊は解散したままレッドは部屋にこもってしまう。大人しくしているとみせかけて、素晴らしき殿のところへ忍んでいったのだろう、とオッズが成立したけれど、翌日には召集されレッドについてまたぞろ任務に出て行った。
レッドが出かけ、ヒィッツが帰り。ヒィッツが出かけ、レッドが帰る。
何度かそれを繰り返し、今回もまた、レッドはヒィッツが帰ってきそうなタイミングで任務に借り出された。最近の大人しさが不安を与えたのか、孔明にしては珍しくレッドの機嫌をとるような大規模破壊・殺戮任務である。
孔明以上に不安を感じていた兵は、天にも祈る気分でレッドをみたが、口の端を歪めただけだった。多少なりとも機嫌取りにはなったのだろうか? 喜んで八つ当たりをされるので、どうぞここらで不機嫌を発散させてくださいと、命がけなメッセージジャケットを着て兵は輸送機に乗り込んだ。ジャケットには黙殺必須の人身御供順番まで書かれている。
レッドは、とても淡々と仕事をこなした。壊して、殺して、燃やしたけれども別に楽しそうな様子はなかった。ジャケットは完全無視だ。そもそも平は彼の視界に入っていない、ということを冷徹に思い返させただけである。
翌日は撤収、帰還という夜。
レッドはおかしみのないバスタブに腰掛けてシャワーを浴びる。気合をいれて湯にうたれなくても、よく泡立つ。バスタブのなかと、浴室の排水溝に泡と少しの赤を含み水が流れていく。
ちらりとだけ目をくれて、腹に空白を感じた。自分の腹を殴りつけると、泡が顔へとんだ。

風呂を出るとオレンジ髪の男が寝台に座っていた。
足を組んで手持ち無沙汰そうに指を絡めたり、放したりしている。
白のスーツは汚れ一つないが、耳が少し裂けていた。肉が覗いている。
「なにしてんだ」
「ああ、レッドか」
びくっと顔を向けて、なんだかこわばった表情をしている。ヒィッツカラルドはタオル一枚のレッドの格好に「失礼」と顔を背ける。若干顔が赤くなるが、もとが青白すぎた。
つかつかとレッドが近づいていく。ヒィッツは目をあわさないように、わたわたと視線を迷わせる。レッドの湿った指がヒィッツの耳に触れた。指ではさむとやわらかく、温かい。弾力のある肉と、傷口の赤を指腹でなぞり、齧りつく。
濡れ髪から雫がヒィッツのスーツへかかった。
いつまでも耳にじゃれつくレッドを、ヒィッツが抱え上げベッドへ投げる。
「顔を観に来た」
ヒィッツがいった。耳から唾液が垂れている。
「なあ、なんでいつも俺の側にいねえの」
ヒィッツを見上げ、レッドがいう。問いかける顔があんまり不思議そうで、ヒィッツは羞恥に赤くなった顔を真面目なものに変える。
「それは、俺とお前が別の生き物だからだ」
そりゃそうだとレッドがいった。あっけらかんと頷き、にんまりと笑う。ヒィッツが会いに来たレッドの顔だった。
「別の生き物であるところのヒィッツカラルドさんよ、それで今、お前は俺とひとつになりに来たんだよな?」
レッドの頬に予想した平手はやって来ない。真面目面もそのままに、ヒィッツカラルドは「その通りだ覚悟しろ」といた。
気泡がはじけて消えるまで(レドヒツ)111225
テラスから見上げる月は、どうしていつもうそ臭い面をしているのだろう。
気取って仮面を被ったような、余所行きの化粧で別人になりすましたような、親愛を跳ねつける表情をしている。
ヒィッツカラルドは人の海を泳いでたどり着いたテラスで、しばらくぶりに息を吸う。
グラス片手に夜空を見上げ、黄昏る姿はパーティー客を魅了していたが、どういうわけかテラスへ近づこうとすると他の客に声をかけられたり、急に気が変わったりするのだ。
BF団とは関係ない(ことになっている)企業の慈善パーティー会場である。
ここで何人かの顔を確認し、品物を受け取るのがヒィッツカラルドの任務だった。前の任務のおまけで、現在地が一番近いという理由でまわされたのだ。
溜息はつかないが、視線は人より空を求める。
「いかがですか」
銀の盆にグラスをのせてウェイターがヒィッツカラルドへ近づいてきた。
「レッドか」
「なんだよ。わかってたのか」
「お前の人払いなしに、テラスで私が放っておかれる理由がないからな」
「感謝してるか?」
「しているとも」
レッドにさしだされたグラスを受け取り、口をつける。視線をあげるころには、レッドはウェイター姿からフォーマルスーツに化けていた。自分の分のグラスを手すりに置き、レッドがヒィッツカラルドの隣へ並ぶ。
「お前も任務か」
「そうだ。お前の面をみたらすぐ出発だ」
「忙しいことだな」
「まったく」
並んで言葉を交わすうちに、月はいくらか親しみの持てる空気を取り戻していく。
グラスの気泡が消えるまで、レッドはヒィッツカラルドの隣に居た。次の瞬間には痕跡も残さずいなくなっている。
「メリークリスマス」
夜空へ向けてヒィッツカラルドがつぶやく。耳元で思いがけずレッドが返し、含み笑い一つ、今度こそ消えた。

なにをうたおう(レドヒツ)

母と暮らしていた幼い頃は、夜中の静かが恐ろしかった。
年若い娘さんだった母は、怖がりのこどもに暖かなベッドを安心なものと思わせてくれた。母にすれば、夜闇やりもずっと、高騰する物価や仕事の先行きが恐ろしかったことだろう。こども心にも母の不安は感じたから、父を名乗る男が現れるたびに、私は愛想よく振舞おうと努力した。
「水飲めよ」
「飲ませてくれ」
「おう」
ベッドに転がって小さく絞った部屋明かりを見上げる。
散々酒を飲んで、大人のお遊びに興じて機嫌の良いレッドが口に水を含み唇を合わせてくる。口端から大半をこぼしたが、水は喉に染み渡った。ぼやけていた焦点が、少しだけあう。
レッドの黒い目が私の白い目をみている。明るい髪の色以外、あまり色素のない体がつらつらと黒の中で映される。
「命日か?」
「なにがだ?」
「誕生日は違うだろ」
「誰の」
「お前の大切な奴の。なんか、特別な日なんだろ。聞くのもだせぇけど」
水で濡れた唇が汗ばんだ鎖骨をなぞる。くすぐったくて笑った。
「なんで」簡単な疑問が切れ切れに声になる。
「なんでそんなことを気にするんだ?」
「妬ましいから」
至極あっさりとレッドがいった。妬ましい、という言葉をそしゃくする間、レッドの目を見返していた。
「死んだ母を思い出していた。命日も忘れたが」
「俺といるのにか?」
「お前と居るからだな。多分、昔思った通りの幸せにあると、夢と現の境が曖昧になるんだ」
不安を抱えていても母は幸福だっただろう。温かいベッドで眠る幼い私も幸福であっただろうけれど、そうあり続けたいと思ったことはなかった。
「好きに生きれるってのは素晴らしい」
レッドが大きく頷き、ふざけた調子で「怖い母親だったんだな」囁く。
「そういうことじゃないが」否定もしきらないで苦笑した。シーツをなぞってレッドを見上げる。頬が緩む。赤らむの間違いかもしれない。
「なあ、次はなにをうたう」
「お前、今日はどうかしてる」
いまできることは、眠ることか交わることか。幸せってのはいいセリフだったと上機嫌を底上げさせてレッドが低く小さく歌う。

どこでねるの(レドヒツ)

ぴちゃん。ぴちゃん。
乾燥した砂漠のホテルで一人コーヒーをいれる。
ドリップの音はヘリコプターのバリバリという音や、命が終わっていく銃声よりも耳につく。
ぴちゃん。ぴちゃん。
ぴちゃ。
ホテルが揺れた。窓から黒煙が見える。ホテルが被弾したのだ。黒煙はすぐ、炎の舌にかわった。どんっと空気を打つ音がして、窓ガラスが震える。
ヘリの音が止まっていた。廊下を大勢の足音が行きかう。
銃声。銃声と、悲鳴や怒号も聞こえた。
水音は止まっている。ヒィッツカラルドは白磁に黄色いバラが描かれたコーヒーカップへ褐色の液体を注ぐ。
椅子に腰掛け、コーヒーカップを片手に持って水面を見下ろす。
水面は静かにヒィッツカラルドの眼を映し、眼は水面からヒィッツカラルドを映している。
部屋が傾いた。ず、ず、ずと音をたて、斜めにずれていく。
椅子もヒィッツカラルドもコーヒーカップも斜めにずれていくが、水面は揺れない。
ヒィッツカラルドがコーヒーを口につける。
いよいよ宙に放り出される視線の先でテーブルもコーヒーメーカーも落ちて壊れて砕けてしまった。
椅子が瓦礫の上で冗談のように水平に落下している。砂埃、黒煙、銃弾も飛び交う中、椅子はわれ冠せずと平穏を決め込み、ヒィッツカラルドも椅子に腰掛ける。落ち着いてしまう。コーヒーに口をつける。ゆっくりと飲む。ぱらぱらぱらと銃声は聞こえる。
飲み干すとカップは少しだけ軽くなった。両掌でカップを包み、ヒィッツカラルドは正面を見る。瓦礫は包丁をいれたように綺麗にカットされていた。積み木を崩したようだ。ヒィッツカラルドが落ち着いた場所以外にも、平面がいくつも出来ている。
それから上を見た。空は少ししか見えない。粉塵がおさまらないのだ。
「私は休暇に来ているんだ」
空に向けてヒィッツカラルドがいう。
瓦礫が傾いた。どんと後から音がする。黒煙が一帯を覆う。砲撃されている。
椅子がすべる。また、宙に浮く。
「私は働かないからな」
「お前、今夜どこで寝るんだ?」
椅子を弾き飛ばして、レッドが空中のヒィッツカラルドを両腕に捕まえた。
二人に向かって弾幕が張られるが、不思議と一発もあたらない。
「どこで寝かせてくれるんだ?」
後生大事にコーヒーカップを抱えて、自身より小さな体躯のレッドをヒィッツカラルドが見返す。
「陣中見舞いに来てくれた友人は、どこで持成すのがいいんだろうな」
「友人は友軍の陣でいいだろうよ」
「ふむ。俺はこれでも公私をわけるほうなんだ」
「初耳だな」
「俺もだ。飛行機でそういうプログラム見たんだよ。でな、そのプログラムだと友人を恋人と呼ぶために任務を早々に終わらせなければっていうんだよ、そいつ」
「主役か?」
「脇役。しかも即死ぬ。死亡フラグだったらしいぜ」
「じゃあ死んで来い」
「そしたらお前、今夜どこで寝るんだよ?」
レッドが口端を吊り上げた。薄気味悪い笑い声をあげる。
このやり取りがしたくて、今まで私をほうっておいたのか。ヒィッツカラルドは馬鹿馬鹿しくなって「馬鹿だ」といった。
「私は働かないからな」
「休暇に来てんだもんな」
「そうだ」
「そうか」
どん。どん。どん。対戦車砲、対空砲、不恰好に防弾外装を貼り付けたロードローラまで出てくる。
レッドがヒィッツカラルドを宙に放り上げた。ヒィッツカラルドはコーヒーカップをスーツの内ポケットに仕舞う。銃弾の雨を浴びながら、不思議なことに被弾せず、かつんと踵を鳴らして着地した。
黒い影が地上を走っていた。あちこちで爆発が起こる。
爆音も悲鳴も銃声も、重苦しい重機械の駆動音もバリバリというヘリコプターの音も連なって聞こえてくるのだけれども。
ぴちゃり。ぴちゃり。どこかで水が漏れて乾いた砂にしみこんでいく。
その音ばかりがヒィッツカラルドの耳につく。
「私は休暇中なんだ」
かつり。かつり。足音がするように瓦礫の上を歩いてヒィッツカラルドは自身の律音を刻んだ。ぴちゃり。ぴちゃり。ぴちゃり。
水がいくらしみこんだって、そこから何かが芽吹くということはないだろうけれど。
ふいに青空が目に入った。視界が開ける。黒い影は今は遠くで雷のように動いている。
ヒィッツカラルドが指を鳴らした。編隊を組み近づいていたヘリが一機墜落し、また視界は黒煙と砂煙に塗り潰された。